湯沢城は誰の手に?

こんにちは

明日開催される森の市(主催:雄勝広域森林組合)にて、ジオパークのパネル展が行なわれます

森の市は、雄勝広域森林組合の敷地で行われます

パネル展はこれまでにも何度か行っていますが、
今回は出来たてホヤホヤのパンフレットも展示予定ですので、
ご覧になったことがあるという方もぜひ お立ち寄りください

さてさて、湯沢市役所近くの古舘山には湯沢城址がありますが (以前の記事はこちら

今日は、その湯沢城にまつわる歴史についてお話しします

湯沢城址本丸跡
本丸跡の案内板

鎌倉時代初期、小野寺経道(つぐみち)は雄勝郡に入部して稲庭城を築き本拠としました

その後、建治3年(1277)に雄勝郡支配の南の抑えとして、
三男道定に湯沢城を築かせたと伝えられています

輝道の時代の天正5年(1577)、横手朝倉城を本拠としました

小野寺氏は、最盛期には仙北三郡を領有した大名でした

小野寺義道の時代になると、山形の最上義光(よしあき)との間で
にわかに軍事緊張が高まりました

義道が旧領回復を目論んだ天正14年(1586)の有屋峠の戦いでは、
両軍痛み分けの結果に終わりました

しかし天正15年(1587)、秋田実季(さねすえ)を襲撃しようと、
刈和野に出陣しているところを最上軍に背後を突かれ、
兵力が二分した小野寺軍は敗退してしまいます

このとき最上氏は一旦軍を引き上げましたが、
雄勝の将軍の中にも小野寺氏劣勢と見て最上に投降する者が出てきました

天正18年(1590)、豊臣秀吉の命により太閤検地が行われ、
その結果、小野寺領の一部が最上氏に与えられました

しかし、これは検地を行なった大谷吉継の勘違いによるもので、
実質的には最上氏への朱印状(領地目録)は、空手形に終わりました

とはいえ、依然として最上氏優勢な状況には変わりがなく…

その後一体どうなったのか、次回に続きます

日曜~月曜の関東の天気がとても気になる
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました
(JGN公開審査&金環日食があるので

JGN公開審査、近づく…。応援団、現る!

 お昼の突然の雷雨にびっくりしましたが、今は、落ち着いた天気です。いろいろなことをしていたら、すっかりブログの当番だったことを忘れていて、あわてて更新作業をしている赤い彗星です。

 さて、JGN公開審査まで、残りあと数日。今年申請する地域の皆様、準備は万端ですか?先日、島原半島ジオパークを会場に開催されたジオパーク国際ユネスコ会議で、JGN関係者から、「今年の審査は、厳しいよ。」と散々脅かされてきました。
 しかし、そんな声に自信を無くすことなく、今までやってきた湯沢市ジオパーク推進協議会の活動に自信を持ってプレゼンに臨むつもりです。
 ちなみに、わが推進協議会は、JGN申請地域のトップバッターです。今年の審査員の質問の傾向が読めず不安ではありますが、逆に気楽な気持ちでやれると思っています。
 プレゼン準備を進めていますが、難儀しているのが、発表内容を10分にまとめることです。現在も、若干長いです。ということで、プレゼン直前まで、内容修正をしつつ、本番に臨みたいと思います。
 こちらは、現時点の発表スライドの1枚目です。うちはジオパークらしくないのが売りでもあり、不安な点でもあります。吉と出るか、凶と出るか??

スライド案
公開プレゼン用スライド

 さて、現在、湯沢市ジオパーク推進協議会のホームページ作成に向け、準備をしていますが、プレゼン準備などで、遅々として進みませんが、そんな我々をしり目に、協議会ではない第三者が、応援ページを作ってくれました。

応援団、現る

 こちらは、我々の公式facebookではありませんので、あしからず。しかし、すばらしい内容ですし、こんな動きが湯沢市内の若い世代で起こっているのが、うれしくてたまりません。
 応援団に負けないように、本家のホームページを早期に開設し、facebookも始めたいと思います。

秋田の酒米の歴史②

みなさんこんにちはm(_ _)m


らんぼーさん、後輩の僕も、確かに「たにし観音」のお話聞いてますよ~!
本尊もチラッと見せてもらったような…記憶があります…多分!
土沢神社は、ひっそりとした佇まいの神社ですが、何だか不思議な空気に包まれた場所です。


さて、今週末は千葉幕張メッセにて行われる、日本ジオパークネットワークの公開加盟審査会に
同行することができるとのことで、今からワクワクしているふらっとです!

幕張メッセには行ったことがないのですが、きっと大きなホールで
ドーンと湯沢の魅力をプレゼンしてくるんだろうなぁ。
僕は直接プレゼンに関わるわけではないのですが、
楽しみに思うと同時に、緊張感もあります。

ですが、僕が事務局に入るずっと前から、
多くの人たちの努力によって磨かれてきたこの構想ならば、
きっと誰が聞いても素晴らしい内容に感じてくれると信じています!

というわけで、プレゼンの心配はせずに
僕は僕のできることをコツコツやっていきたいと思います。


では早速、前回のお話の続きに入ります。
前回はまず酒米についての基礎知識を確認しました。

前回の記事に補足させていただきますと、酒米と呼ばれるような品種は、

総じて病気に弱かったり倒伏しやすかったりと、
一般の米に比べ栽培が難しいものとされています。


更に、これを酒造において使用するに当たっては、

含まれる糖分が少ないため、他の果実酒(ワインなど)に比べると、
米はとても発酵の難しい原料であるとされています。


それ故に、昔から日本の酒造家や酒米農家の人たちは、多くの苦労を重ねてきました。

僕は正直な所、今まで日本酒がそんなデリケートなお酒であるという認識はなく、
むしろワインとかの洋酒の方が、よっぽど繊細で難しいお酒であるように思っていました。

それはきっと、日本酒を飲んでべろべろになってる
近所のおじさん方ばかり見てきたからなのかもしれません…(汗
(あと悪酔いしてどんどんお酒飲ませてくる友人とか…)

テレビに映るヨーロッパのブドウ畑を営むオジサマ達からは、
そんな酔っぱらった姿は想像もできませんから、
なんとなく向こうのお酒の方が高尚なもののように感じたんだろうと思います。

ところが必ずしもそんなことはなく、
勉強すればするほど、日本酒とはすごいお酒なんだと思い知らされます。

特に、その原料となる稲の栽培・品種改良に関する
酒造関係者、研究者の方々の努力と苦労の歴史には驚かされます。


さて本題です。
伝家の宝刀(と言いつつ毎回使ってますが)『山田の語り草 総集編』によると、
秋田の酒米の歴史舞台に最初に登場するのが、
1893年(明治26年)に山形県の篤農家・阿部亀治により育成された、
「亀の尾」
と名付けられた品種であったとされます。

前回は、酒米は一般食用に適さないと書きましたが、
この亀の尾、むしろ食用として一般的で、かのコシヒカリ、ササニシキ、
更にはお馴染みあきたこまち、ひとめぼれ
ご先祖様にあたる、大変美味な品種であったそうです。

その上酒米としても優れた特性を備え、
五百万石、たかね錦、若水、亀粋など多くの子孫品種も生み出しました。

秋田県および湯沢市内での全盛期は1921~1930年代とも言われ、
「秋田酒造史」の一文によると、
『1921年(大正10年)「両関」が、第4回、第6回に続き第8回全国清酒品評会において
優等に入賞、秋田県として初めて名誉賞を受賞。秋田酒の名声を全国に博す。
県産酒造米「亀の尾」特に県南産米が広く県内外で賞用され、雄平二郡ではその70%にも及ぶ。

とされています。

すごいですね。ということはつまり、
全国の注目を浴びたお酒が秋田から生まれ、そのお酒は湯沢の蔵で仕込まれて、
それに使用された酒米の大半も湯沢…、そしてやっぱり湯沢の米どころと言えば、
山田でその多くが栽培されていた、ということになりますよね。
これはとても誇らしいことです。

「亀の尾」は育成当初の時点でこそ「耐冷性に優れる」と言われていましたが、
新たな品種の台頭により相対的な弱さが際立ち、
あわせて害虫への耐性の低さや、
化学肥料を使用すると極端に米が脆くなるといった性質を持つことから、
現代の農法には向かないとされ、次第にその子孫品種などにとって代わられたそうです。

それにより、一時は全国的に「亀の尾」の栽培自体されることがなくなりましたが、
新潟県の三島郡和島村の『清泉』で知られる久須美酒造にて、
1983年(昭和58年)に亀の尾を原料に使った吟醸酒『亀の翁』が製造されたことで、
現代に蘇りました。

そのドラマティックな出来事は、
漫画『夏子の酒』(1988~1991年、モーニングで連載)のモデルになり、
同名作品のテレビドラマ化までされて、一躍注目を集めました。

県内でこの酒米が使用されているお酒としては、
木村酒造さん『秋田杜氏 亀の尾仕込み 大吟醸』や、
浅舞酒造さん『天の戸 亀の尾仕込み 純米吟醸』があります。
うーん、飲んでみたい!!

山田表紙_convert_20120507145538

さて…、またしてもがっつり文章ばかり詰め込んでしまいましたが、
ここでお終いにしたいと思います。

写真などを上手に利用した華やかな記事は、他のメンバーの方にお任せします…。
それと、お酒の記事を書くなら、色んな銘柄を飲み比べたりしていると
もっと面白い記事が書けるのでしょうけども、ここで書いてるようなお酒は
僕にとってみんな雲の上にあるような逸品ばかりなので(※金銭的事情で)、
なかなかその味を楽しめないのが現状であります…。

ネットや書籍で旨そうなお酒の銘柄を知っては悔しい思いをしている、
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふらっとでしたm(_ _)m!

田螺(たにし)観音

こんにちは。

今日は、朝から雨が降って、少し肌寒い湯沢市です

週末は暖かくと言うよりは、暑くなりそうですが、ここ湯沢市ジオパーク推進協議会

5月20日(日)の公開プレゼンテーションへ向けて、熱くテンションが上がってきております

まだ、まだひよっこのらんぼーですが、色んな事を一生懸命頑張っていきたいと思います


さて、今日は・・・以前、トビウオさんのブログ記事に、少しだけ登場しておりました『田螺(たにし)観音』に

ついてお話ししたいと思います。


山田小学校を卒業している方でしたら、一度は聴いた事があると思われる昔話です。

一度・・・TVアニメの昔話でも、放映していたような・・・らんぼーの願望がそう記憶させているのか・・・?


昔、尊いお坊さんが諸国行脚の道すがら、土沢部落にやってきた。

里人との相談ごとや有難い御仏のお話しをされていた。

出立の日が近づいたが、今しばらく滞在して欲しいと、地に伏してお願いする里人の心にうたれたお坊さんは

一心不乱に仏像を彫り、ついに身の丈1丈6尺(4.8m)の立派な仏像が完成した。

その後、平和だったこの地方にも戦乱がおき、仏像のあるお堂にも火がつけられ、あっという間に

燃え上ってしまった。しかし、真黒に焼け焦げた跡に、仏像がそのまま残っていた。

近づいてみると、仏像全身が「たにし」で覆われていたのだった。


以来、春秋の祭りのときに、たにしの霊を慰めるためにお堂の池にたにしを放流するとともに、たにしを

食べない習慣が残っている。

土沢


たにし観音は、昭和31年、秋田県重要指定文化財として指定され、名称は木造十一面観音立像となっている。

(山田の語り草 総集編 参照)

今でも右耳と胸の辺りが、焼けて炭化しているのは・・・兵火の証し・・・


そう言えば・・・田螺(たにし)、最近見ないですよね?

子供のころは、田植えが終わった田んぼの中には、けっこういたものですけど・・・

たにし観音のお話も、たしか・・・小学校2年か3年の時の・・・遠足の前に聞いたような・・・

遠い記憶もたどりながら・・・湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーがお伝えしました。





関口石採石跡の砂岩露頭

こんにちは

前回は関口石についてお話ししましたが、今日はその採石跡の砂岩露頭を紹介します

関口石採石跡地図

関口石採石跡の砂岩露頭は、関口集落の北東300mの山腹にある関口神社の上にあります

集落から林道で露頭近くまで行けます

関口石採石跡・林道
露頭付近の林道

関口石採石跡の露頭
採石跡の砂岩露頭

周辺の地質は中新世中期(1500万年前頃)の戸沢層で、暖かく浅い海に堆積した砂岩層からなり、
4mほどの安山岩質礫岩や薄い泥岩を伴います

暖かく浅い海に堆積したという証拠に、
近くにある同時代の砂岩や凝灰岩質砂岩から貝類の化石が産出しています

八幡沢のホタテ貝化石
八幡沢のホタテ貝化石(同時代の地層から産出)

市内川の貝化石
市内川の貝化石(同時代の地層から産出)

湯沢市からこんなにクッキリハッキリとした貝化石が産出するなんて驚きです

また、採石場跡には祠と記念碑があります

関口石・祠と記念碑
祠と記念碑

以上、湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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