湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

地域おこし協力隊募集中です!

2017-03-27

こんばんは。
めがねです。

この週末はイベントラッシュ!
ゆざわジオパークかだり隊講習会にゆざわカンファレンス。
夜は連続飲み会。秋田の皆さんは本当によく飲まれます。
私は酒を飲んだ次の日は後悔の嵐。なかなか成長しません。

さてさて、ご連絡が遅くなりましたが、湯沢市ではゆざわジオパーク
の事務局員となってくれる地域おこし協力隊を募集しています。
興味のある方はぜひ、下記をご覧ください!
http://www.city-yuzawa.jp/information/691smf.html

ゆざわジオパークの事務局がどんなことをやっているかは、
このブログの内容を見ていただくこととして、
募集条件も、リンク先を見ていただくとして、

やっていることに共感できるか、仕事が楽しそうに
思うか、自分の将来に繋げられそうかというところで、
よく考えていただき、もしも、やってみようと考えたなら、
ぜひ、応募して貰えたらと思います。

見学に来ていただいたなら可能な限り案内致します!
皆さんのご応募、お待ちしています!



第3回組織体制強化検討委員会開催。

2017-03-26

 おはようございます。ゆざわの子です。本日は、3月16日の運営委員会後に開かれた組織体制強化検討員会についてお伝えします。
 過去2回の会議では、協議会の事務局体制強化と財政基盤強化、この2点を中心に議論が交わされたことから、この2点についてこれまでの議論の整理を行いました。協議会の法人化については、平成29年度も引き続き委員会を開催することから継続して検討して行く事としています。
 今回の会議結果を踏まえて、4月下旬開催予定の協議会総会にて組織体制強化検討委員会の中間報告がされます。
 組織体制強化検討委員会は、市町村財政が厳しさを増す中、持続可能な地域社会を実現すべくジオパーク活動を着実に続けて行くためにも大切な委員会といえます。
 来年度の会議でも協議会構成団体の様々な分野の方から良いアイデアが出て、素晴らしい強化策が策定される事と思います。 
 以上、本日の担当はゆざわの子でした。
 
 

明日はかだり隊講習会

2017-03-25

ゆざわジオパークかだり隊登録業者の皆さん。
明日3月26日は第1回14時30分から16時まで、第2回は19時から20時30分かだり隊講習会開催します。会場は湯沢市役所25会議室です。
先のブログでも紹介させていただきましたが、鹿児島の桜島ミュージアムから福島大輔氏をお招きし、ジオパークの活用方法と商品化についてお話いただだきます。
すでにかだり隊に登録されている皆さんも一緒にご参加しませんか?
お待ちしています。
ひよこ豆でした。


ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-03-24

今回はちょっと寄り道をいたします。
先回の終わりにPRしていました院内銀山の最後の住人であった永島さんについてご案内いたします。
永島さんについて、書かれた記述が会誌 院内銀山にあるのでそのご案内をいたします。

「永島房雄師を偲ぶ」 渡部和男記 会誌 院内銀山 第22号より
                                          (会誌発行平成9年)

 永島房雄師は、長い間院内銀山跡整備と無縁供養に尽されて来たが、昨年(平成8年)10月14日突然倒れ、17日朝永眠された。満80歳である。「私は銀山での無縁供養を生きがいとしているので、銀山で死ぬことは本望である」と、話されたのを聞いたことがあるが、まさに大往生と言ってもよかろうと思われる。
 師は銀山生まれではないが、幼くして家庭の事情で両親と別れ、銀山に住んでいた祖母菅ツルさんの下で育ち、小学校二年の時銀山から移ったという。
大正11年院内小学校に併合直前の、白銀小学校(西三番)に通ったことになる。
 ツルさんは「カンタロウバッパ」と呼ばれたとのこと、幕末期金名子(かなこ・組頭)金沢勘太郎(墓共葬墓地)の娘であろう。師が育った家は、銀山川沿いの、御幸坑前から御膳水への途中に、西光寺に向かって建っていたと、懐かしげに話されたことがあった。菅家墓地(共葬墓地)には、師が昭和56年に建てたツルさん(昭和3年没)・母乳井はなさん(昭和54年没)の墓がある。
 成人して愛知県警察官となり小牧市に居を構え、退職後数年民間会社に勤めたが、院内銀山を忘れがたく、いつかは銀山に戻って無縁墓を供養しながら、報恩したいと考えていたとのこと。そして昭和47年前後、院内を訪れて関係者に墓地整備のことを相談し、49年には共葬墓地に観音像建立、50年9月に開眼供養を行っている。「銀山顕彰会」は昭和51年に発会しているが、永島さんの銀山への熱い思いが、創立の一つのきっかけになったともいう。
 師は、銀山無縁供養のため僧になる決意を抱き、能登総持寺祖院で修業得度、法号を房雄を「ほうゆう」と読み替えた。銀山に住むようになったのは数年前になると話されたことがあるが、師の知人の話では、正楽寺跡坊舎「無宗山報恩寺」に住む様になったのは昭和55年秋からでその前は十分一異人館跡向の社宅(空家になっていたと思われる)に住んでいたとの事。(昭和48年まで住んでいた林業関係者千葉さんが最後)昭和50年代の初めか?
 報恩寺では、毎年4月末か5月始めに来山し、11月始めに帰省するまでの半年間、電気・ガス・水道のない所で仙人のような孤独の生活であった。冬も通していたい気持ちであったらしいが、家族の反対で実現しなかったようである。「私は粗衣粗食に慣れているから、この様な生活は少しも苦にならない」と話された事がある。
 「無宗山」の山号と石柱「世界は一つ萬教は一つの真理に帰一する」の通り、師の活動は宗派に囚われることなかった。堂脇に並べている首の欠けている多くの地蔵、無縁供養塔、キリシタン殉教碑、遊女供養堂、坑内火災死者供養地蔵像などを見ると、永島さんのそのような思いが強く感じられる。師は心から銀山を愛した稀なる誠実・無私の人であった。

ここに書かれている様に今の院内銀山が在るのはこの人の力が大きかったと思います。

昭和の十分一地区
この写真は、おそらく昭和40年代頃の十分一のもので、もしかすると永島さんが最初に住んでいた家が写っているかもしれません。
2015_11150045.jpg
こちらは、渡部和男氏の出した写真集に掲載された写真で、永島さんが院内銀山で亡くなるまで住んでいた『無宗山報恩寺』とその周辺の様子です。

次回も永島さんについてご案内いたします。


東北ジオパークブロック会議

2017-03-23

こんばんは。ゆっこです。
今日はお隣栗駒山麓ジオパークさんへお邪魔しています。

P3230287.jpg

来年度の事業の打ち合わせです。

男鹿半島・大潟ジオパークさんで開催される日本ジオパーク全国大会を始め、栗駒山麓ジオパーク山で開催される東北ブロックジオパークフォーラムなどなど、来年も事業が盛りだくさんです。

近年はジオパークの認定地域やジオパークを目指している地域がとても増えてきているので、全国大会参加者は1000人近くになります。
東北ブロックジオパークフォーラムも150人くらいの参加があります。
とても規模が大きい大会なので、東北ジオパークが協力し合って各種大会を成功させるための大事な打ち合わせ。
各地域様々な事情もありますが、協力し合って頑張ろうという気持ちは一緒のようです

年度末になりなにかとバタバタと過ぎていく日々ですが、頑張っていきたいと思います。
今日は短いですがこの辺で。
ゆっこでした。
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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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