湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

岩崎城

2011-10-11

みなさん こんにちは

週末 山道を歩いていたら、思いっきりぬかるみに落ちた
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオです

1度ならず、2度3度と落ちました

ご一緒した方々には、大変ご迷惑をおかけしました

当然両足とも泥だらけになったのですが、そこまで汚れると逆に楽しくなってきまして

帰宅して家に上がるまでがちょっと大変でしたが、いい経験でした


さてさて、この記事で岩崎城跡の千年公園と玉子井戸について触れましたが、
今日は岩崎城について少し詳しくお話ししようと思います

江戸時代、岩崎には雄勝八郷(おがちやさと)を束ねる
秋田藩の郡奉行所が置かれていました

また、皆瀬川の渡船場となり、湯沢と横手の双方から御舟奉行と給人が配置される
交通の要所でした

岩崎城の城主岩崎氏は、湯沢小野寺氏の庶流であると考えられており、
湯沢城の北側を守備していました

天正18年(1590)、「奥州仕置」豊臣秀吉による領土仕置)により
雄勝郡は最上氏(山形)の領土と認定されましたが、
横手城主小野寺義道はこれを認めずに雄勝郡の支配を継続しました

これを聞いた山形城主最上義光は文禄4年(1595)、実質統治を目指して
楯岡城主楯岡満茂が率いる最上軍を雄勝郡に差し向けます

最上軍により湯沢城が落城したことを聞いた岩崎城主岩崎義高は、
次の攻略目標は岩崎城だと考え、横手城の小野寺義道に援軍を要請しました

しかし同日に角間城、植田城、鍋倉城、新田目城、今泉城が最上軍の攻撃にあったため、
岩崎城には手が回らず、ほとんど援軍が来ませんでした

岩崎城の兵力が少数であるという情報を得た前森城主原田大膳は、
岩崎城に夜襲を仕掛けます

それにより義高は討死し、岩崎城は落城しました

その後、原田大膳が岩崎城の城主となり、
以後は最上氏の属城として「関ヶ原」まで小野寺氏との軍事緊張が続いたとされています

慶長7年(1602)、佐竹義宣の移封(国替)後は佐竹氏の城となり、
元和元年(1615)、一国一城令により廃城となりました

現在の岩崎城跡がこちらです↓

岩崎城跡

今ではこんなに穏やかなところで、そんな争いが行われていたなんて
なかなか信じられない感じがします

ではでは、今日はこのへんで

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湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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