湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

松岡鉱山~開発の歴史~

2012-04-02

こんにちは

新年度最初の月曜日です

すでにお知らせしているようにチムニーさんとふぢさんが卒業となり、
様々な不安もありますが、頑張っていかなくてはー

ということで、今年度もどうぞよろしくお願いします

さて今日は、前回ご紹介した松岡鉱山の歴史についてお話しします

松岡鉱山から産出される銀は「湯沢銀」と称された良質なものでしたが、
鉱脈に断続があったため、しばしば休山と採鉱を繰り返した鉱山でした

慶長年間の発見後、寛永~寛文年間(1624~1673)に盛大に稼働し、
大量の銀を産出したといわれています

寛政8年(1796)、大直利(良質の鉱脈の発見)が続きます

文化元年(1804)に大坂屋彦兵衛の所有となると、文化5年(1808)には良質の鉱脈を掘り当て、
1日に銀100貫(375kg)、堀子(鉱夫)200人余りという盛況ぶりを見せていました

この時、鉱山経営の指導にあたったのが当時の学者である佐藤信淵(のぶひろ)でした

その後、幾度かの休山と再坑(再興)をむかえ、
明治19年(1886)には旧廃鉱(以前に捨てた鉱石)を精錬して
月間15~35貫(約56~131kg)の銀を生産しました

明治39年(1906)に藤田組(後の同和鉱業株式会社)の所有となると、
新盛砒、大盛砒、12号砒などの極めて良好な鉱脈を発見し、
大切坑道以下1,200尺(364m)まで掘り下げて採掘しました

当時最新であったオーガスチン採銀法によって混合銀を月間20貫(75kg)生産し、
鉱石の運搬用に専用トロッコ軌道を敷くなど大いに発展しました

鉱夫400人、年産銀2,000tに上り、大正元年(1911)にはわが国有数の鉱山にあげられましたが、
鉱況の悪化により大正12年(1923)、休山しました

その後、昭和10年に再び操業を開始しましたが、
昭和22年の大水害により坑道が水没し休山となりました

松岡鉱山事務所
松岡鉱山事務所(昭和50年、秋田大学斎藤實則氏撮影)

以上、湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
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