勇ヶ岡公園のお話
2012-04-26
こんにちはm(_ _)m
山の奥を除いて、もうすっかり雪も解けてしまいました。
今年は雪が多かったですね…。
と言っても、地元に戻ってきたのがつい先月だったので、
春先まで残っていた雪だけを見て「いやぁ~、多かったんだね」
というセリフを吐いている僕です。
今年の冬からはそんな吞気なことは言ってられないんだろうな…。
地元の集落では雪下ろしのできる人が減っているとのことだったので、
今年からは僕も力になりたいと思っています。
まずは冬までに、この鈍り切ったボディを何とかせねば…。
そんなことを思いながら、最近仕事上がりにランニングしたりしております。
秋には運動会もあるし…。
運動会と言えば、ジオサイト候補地 山田の住民にとって、
勇ヶ岡公園が思い出の場所です。

勇ヶ岡公園
現在は雄勝中央病院の敷地の一部となっているので、
昔の姿を残している場所は、少なくなっています。

忠魂碑(大正15年11月建立)
かつてはもっと上の方にあった忠魂碑も、工事のため移されています。
僕の祖父よりもっと上のお父さんたちが、山田のこの地域から、
国のために戦場へと向かった事実を伝え続けています。
その人たちの顔や名前も知らないのですが、
ごく身近な土地からも多くの兵隊さんになった人たちがいて、
亡くなっていったことを知ることができる場所です…。
ジオパークと直接関連のある碑ではありませんが、
ここに住む人間としてそんな戦争の歴史も忘れないようにしたいですね。
さて、ここでお馴染み『山田の語り草 総集編』の「勇ヶ岡公園回想記」より、
勇ヶ岡公園の昔の運動会の様子を語った一寸エピソードをお届けします。
----------
公園岡手の観覧席は程よい広さで段々になっており、
登り降りの通路はほどほどの坂道でほどほどの注意を要した。
特に忠魂碑裏の通路は急斜面であり、特段の注意を要した。
下の運動広場のすみずみには様々な出店があり、結構にぎわったものであった。
とある金持ちの御仁、何のためか件の忠魂碑裏の通路を降りてきたところ、
弾みがついて勢いあまって、下の出店の綿飴屋にぶつかり
原材料のザラメを飛び散らしてしまい、相手方吃驚。
当の御仁、相当の弁償金を出して
「済まない事をしました。これで勘弁して下さい」
と平謝り。
当の綿飴屋、思いの外の弁償金を受けて、
内心ほくそ笑みつつ早々に店をたたんで引きあげた。
その隣にいたアイスキャンデー屋が
「おれの方にぶつかって来えばよかったのに、綿飴屋はええ事したもんだ」
と呟きながら、散らばったザラメをかき集めすくい上げてなめなめし、
自分もええ事しておったそうな。
----------
勇ヶ岡公園は、かつて「運動会山」と呼ばれていました。
毎年5月の初旬、桜が満開の頃に小学校の運動会が催され、
集落の人たちは当日、学校に通う子どもがいるいないに関わらず、
近隣誘い合い、ご馳走入りの重箱を背負って出かけ、
集落を挙げての行楽行事となっていたようです。
僕も松岡児童館にいたころは、児童館の運動会で
ここを駆け回っていたのを覚えています。
他にも自転車の練習とか、それ以外にも、
家族や友達と何度も遊びに来ていた思い出の場所でもあります。

現在はちょっと寂しい風景になっていますが、
これからこの場所がどのように変わってゆくのかが楽しみでもあります。
その様子を自分の目で見てみたいです。
ジオパークにも“パーク”という言葉が含まれていますが、
湯沢市ジオパークも山田の住民にとっての勇ヶ岡公園のように親しまれ、
市外、県外、さらには国外の人たちにとっての学習と憩いの場になってほしいですね!


先週末に勇ヶ岡に行って写真を撮ってきたのですが、
公園に続く坂に並ぶ桜には、たくさんのつぼみがついていました。
今度はこの桜たちが満開になっている写真を撮ってきたいですね。
山田の中でもオススメのお花見スポットなので、
中央病院の帰りにでも、ちょっと寄り道してみてはいかがでしょうか?

勇ヶ岡から一望できる湯沢とばっけ

帰り道に大量のばっけポイントを発見。
もっと育ってないうちにこのポイントを見つけてたら、
ばっけみそとかばっけの天ぷらとか、お腹いっぱい食べられたものを…(`ε´)
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふらっとでしたm(_ _)m!
山の奥を除いて、もうすっかり雪も解けてしまいました。
今年は雪が多かったですね…。
と言っても、地元に戻ってきたのがつい先月だったので、
春先まで残っていた雪だけを見て「いやぁ~、多かったんだね」
というセリフを吐いている僕です。
今年の冬からはそんな吞気なことは言ってられないんだろうな…。
地元の集落では雪下ろしのできる人が減っているとのことだったので、
今年からは僕も力になりたいと思っています。
まずは冬までに、この鈍り切ったボディを何とかせねば…。
そんなことを思いながら、最近仕事上がりにランニングしたりしております。
秋には運動会もあるし…。
運動会と言えば、ジオサイト候補地 山田の住民にとって、
勇ヶ岡公園が思い出の場所です。

勇ヶ岡公園
現在は雄勝中央病院の敷地の一部となっているので、
昔の姿を残している場所は、少なくなっています。

忠魂碑(大正15年11月建立)
かつてはもっと上の方にあった忠魂碑も、工事のため移されています。
僕の祖父よりもっと上のお父さんたちが、山田のこの地域から、
国のために戦場へと向かった事実を伝え続けています。
その人たちの顔や名前も知らないのですが、
ごく身近な土地からも多くの兵隊さんになった人たちがいて、
亡くなっていったことを知ることができる場所です…。
ジオパークと直接関連のある碑ではありませんが、
ここに住む人間としてそんな戦争の歴史も忘れないようにしたいですね。
さて、ここでお馴染み『山田の語り草 総集編』の「勇ヶ岡公園回想記」より、
勇ヶ岡公園の昔の運動会の様子を語った一寸エピソードをお届けします。
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公園岡手の観覧席は程よい広さで段々になっており、
登り降りの通路はほどほどの坂道でほどほどの注意を要した。
特に忠魂碑裏の通路は急斜面であり、特段の注意を要した。
下の運動広場のすみずみには様々な出店があり、結構にぎわったものであった。
とある金持ちの御仁、何のためか件の忠魂碑裏の通路を降りてきたところ、
弾みがついて勢いあまって、下の出店の綿飴屋にぶつかり
原材料のザラメを飛び散らしてしまい、相手方吃驚。
当の御仁、相当の弁償金を出して
「済まない事をしました。これで勘弁して下さい」
と平謝り。
当の綿飴屋、思いの外の弁償金を受けて、
内心ほくそ笑みつつ早々に店をたたんで引きあげた。
その隣にいたアイスキャンデー屋が
「おれの方にぶつかって来えばよかったのに、綿飴屋はええ事したもんだ」
と呟きながら、散らばったザラメをかき集めすくい上げてなめなめし、
自分もええ事しておったそうな。
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勇ヶ岡公園は、かつて「運動会山」と呼ばれていました。
毎年5月の初旬、桜が満開の頃に小学校の運動会が催され、
集落の人たちは当日、学校に通う子どもがいるいないに関わらず、
近隣誘い合い、ご馳走入りの重箱を背負って出かけ、
集落を挙げての行楽行事となっていたようです。
僕も松岡児童館にいたころは、児童館の運動会で
ここを駆け回っていたのを覚えています。
他にも自転車の練習とか、それ以外にも、
家族や友達と何度も遊びに来ていた思い出の場所でもあります。

現在はちょっと寂しい風景になっていますが、
これからこの場所がどのように変わってゆくのかが楽しみでもあります。
その様子を自分の目で見てみたいです。
ジオパークにも“パーク”という言葉が含まれていますが、
湯沢市ジオパークも山田の住民にとっての勇ヶ岡公園のように親しまれ、
市外、県外、さらには国外の人たちにとっての学習と憩いの場になってほしいですね!


先週末に勇ヶ岡に行って写真を撮ってきたのですが、
公園に続く坂に並ぶ桜には、たくさんのつぼみがついていました。
今度はこの桜たちが満開になっている写真を撮ってきたいですね。
山田の中でもオススメのお花見スポットなので、
中央病院の帰りにでも、ちょっと寄り道してみてはいかがでしょうか?

勇ヶ岡から一望できる湯沢とばっけ

帰り道に大量のばっけポイントを発見。
もっと育ってないうちにこのポイントを見つけてたら、
ばっけみそとかばっけの天ぷらとか、お腹いっぱい食べられたものを…(`ε´)
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふらっとでしたm(_ _)m!