湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

湯沢城は誰の手に?-後編-

2012-05-22

こんにちは

幕張メッセで行われたJGN公開審査から、無事戻ってまいりました

来場者が想像以上に多く、湯沢市の中だけにいるとなかなか分からなかった
ジオパークに対する全国的な盛り上がりを改めて実感しました

歩いての移動が多かったので、雨が降らなくて本当に良かった
(金環日食の時間帯も太陽が顔を出していて、かなり盛り上がっていました

バタバタしていて、ほとんど写真を撮れなかったのが少し心残りです

さてさて、前回に引き続き湯沢城にまつわる歴史についてお話しします

湯沢城址案内看板
湯沢城址案内看板

朱印状が空手形に終わったとはいえ、依然最上氏優勢の中、
ついに本格的な雄勝郡侵攻が始まろうとしていました

本格的に雄勝郡侵攻を始めるにあたっての最上義光(よしあき)の懸念が、
小野寺家の知将・八柏大和守道為の存在でした

そこで最上氏は謀をめぐらせ、小野寺義道が道為の内通を疑うように差し向けました

その謀は成功し、義道は道為を暗殺してしまいます

脅威を取り除いた最上氏は文禄4年(1595)、
楯岡城主・楯岡満茂を大将として再び雄勝郡への侵攻を開始します

この侵攻では、最上に投降した雄勝諸将も最上軍につき、湯沢城は三方から包囲されました

多勢に無勢ながらも必死に抵抗した小野寺軍でしたが、
湯沢城は落城し、当時の城主・孫七郎は討死しました

義道は横手の本城でこの知らせを聞きましたが、周囲には敵が多く動きが取れませんでした

その後、湯沢城へは楯岡満茂が城主として入城し、
最上氏の城として雄勝郡の重要拠点となりました

関ヶ原合戦後の慶長7年(1602)、佐竹氏が秋田に転封し、
湯沢城へは佐竹義種(佐竹南家)が入城しましたが、
元和6年(1620)、一国一城令により湯沢城は廃城となりました

佐竹南家の門
佐竹南家の門:昭和55年、ゆかりの地から城址公園に移転

歴史の教科書に載ったりはしない湯沢城ですが、なかなかドラマがあると思いませんか

2日間歩き回った足の疲れがまだとれない
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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