菅江真澄と歩く⑨ 「ごきげんよう、能恵姫様」
2013-03-19
みなさま、こんにちは。
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のミレーです。
菅江真澄と歩くシリーズ・第9回はジオサイト「岩崎」に伝わる「能恵姫物語」に取材して、能恵姫の足跡を菅江真澄と辿ってみようと思います。
今回は能恵姫の足跡を辿る過程で、ゆざわジオパークを飛び出してお隣の東成瀬村にまでお邪魔します。
「能恵姫物語」については、こちらの記事をご覧ください。ちょっと不思議で、ちょっと物悲しい物語です。
様々な因果によって龍神となった能恵姫ですが、いつしか皆瀬川に鉱山からの鉱毒水が流れ込むようになったため、皆瀬川をさかのぼり、小安峡の不動滝にたどり着きました。
しかし、不動滝には既に別の龍が住んでおり……
ん?
別の龍、とは一体なにものでしょうか?
この疑問が、今回の取材の始まりです。
というわけで、早速菅江真澄先生の出番です。「雪の出羽路」から、小安峡・雄滝(こんにちの不動滝)の記述を見てみましょう。
○雄滝の社
不動明王堂をまをす也、大滝の上なる柴橋のもとの巖頭にませり、十二月二十八日俚人祭る。
不動明王堂と申し上げる所である。大滝の上にかかる橋のたもとの岩場におありである。12月28日には
里人による祭りが行われる。

どうやら「不動明王」は住んでいるようですが、はたして「龍」とは……?
不動明王……不動……お不動さん……倶利伽羅剣……倶利伽羅……龍……龍……!?
この時、昨年、秋ノ宮地区の学術調査に同行した際に目にした「お不動さん」の像が、ミレーの脳裏によみがえったのでした。

岩崎から引っ越してきた能恵姫が出会った「龍」が、このような不動明王由来の龍だったのかは定かではありません。ただし、火のない所に煙は立たず。伝説もまたしかり。可能性としてはあり得るのではないでしょうか。
さて、先んじて守護者を抱える雄滝には住み着くことができず、その後能恵姫は仁郷の赤滝にたどり着くと伝説は語ります。
いったんここで、能恵姫の足跡を確認してみましょう。

岩崎から皆瀬川をさかのぼった能恵姫は、不動滝で龍に出会い、そこに住み着くことはできないと悟ります。そして、仁郷の赤滝に向かうわけですが、山を越えていったのでしょうか? 水神が山越えをするというのはどうもしっくりこないので、やはり川をさかのぼっていったと仮定します。すると今度は皆瀬川を引き返し、成瀬川に入り、またさかのぼるという長い旅路になります。
なんにせよ、お疲れ様でした。
のぼりのぼって、赤滝へ

赤滝近辺の様子が、菅江真澄の「駒形日記」に登場していますので紹介します。
……坂をくだれば赤瀧といふが落たり。赤瀧明神坐り。
坂をくだれば赤滝という滝が落ちている。赤滝明神がおありである。
水上は赤川の流にこそあなれ、しばしは横走して巖にかかりたり。
水上は赤川の流れであって、しばしば流れがうねって岩に当たっている。
木々いとふかく、紅葉しておもしろきところ也。
木々の深い、紅葉した趣深いところである。
紆余曲折の果てに能恵姫がたどり着いた赤滝は、菅江真澄も太鼓判を押す趣深い空間だったようです。
今でも能恵姫は赤滝で水神として、地域の人々とともに暮らしています。
いくちしほ 染る紅葉の 影おちて いといといろこき 赤瀧のみつ
これ以上ないほどに染まった紅葉が、赤瀧に影を落としている。
このように美しいさまを目にすれば、必ずや赤瀧に頭を垂れるだろう。
本日のブログはミレーがお送りしました。
「菅江真澄と歩く」シリーズ バックナンバー
①ジオサイト「院内銀山」より 「追憶の院内銀山」
②ジオサイト「山田」より 「突撃! 山田・松岡七不思議!」
③ジオサイト「稲川」より 「遥かなる稲庭うどん」
④ジオサイト「三関・須川」より 「三関・須川の石と河」
⑤ジオサイト「高松」より 「高松に燃える紅葉」
⑥ジオサイト「高松」より 「白く轟く川原毛地獄」
⑦ジオサイト「小安」より 「小安峡大噴湯、岩を割って息吹く」
⑧ジオサイト「小安」より 「今も昔も節理は摂理」
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のミレーです。
菅江真澄と歩くシリーズ・第9回はジオサイト「岩崎」に伝わる「能恵姫物語」に取材して、能恵姫の足跡を菅江真澄と辿ってみようと思います。
今回は能恵姫の足跡を辿る過程で、ゆざわジオパークを飛び出してお隣の東成瀬村にまでお邪魔します。
「能恵姫物語」については、こちらの記事をご覧ください。ちょっと不思議で、ちょっと物悲しい物語です。
様々な因果によって龍神となった能恵姫ですが、いつしか皆瀬川に鉱山からの鉱毒水が流れ込むようになったため、皆瀬川をさかのぼり、小安峡の不動滝にたどり着きました。
しかし、不動滝には既に別の龍が住んでおり……
ん?
別の龍、とは一体なにものでしょうか?
この疑問が、今回の取材の始まりです。
というわけで、早速菅江真澄先生の出番です。「雪の出羽路」から、小安峡・雄滝(こんにちの不動滝)の記述を見てみましょう。
○雄滝の社
不動明王堂をまをす也、大滝の上なる柴橋のもとの巖頭にませり、十二月二十八日俚人祭る。
不動明王堂と申し上げる所である。大滝の上にかかる橋のたもとの岩場におありである。12月28日には
里人による祭りが行われる。

どうやら「不動明王」は住んでいるようですが、はたして「龍」とは……?
不動明王……不動……お不動さん……倶利伽羅剣……倶利伽羅……龍……龍……!?
この時、昨年、秋ノ宮地区の学術調査に同行した際に目にした「お不動さん」の像が、ミレーの脳裏によみがえったのでした。

岩崎から引っ越してきた能恵姫が出会った「龍」が、このような不動明王由来の龍だったのかは定かではありません。ただし、火のない所に煙は立たず。伝説もまたしかり。可能性としてはあり得るのではないでしょうか。
さて、先んじて守護者を抱える雄滝には住み着くことができず、その後能恵姫は仁郷の赤滝にたどり着くと伝説は語ります。
いったんここで、能恵姫の足跡を確認してみましょう。

岩崎から皆瀬川をさかのぼった能恵姫は、不動滝で龍に出会い、そこに住み着くことはできないと悟ります。そして、仁郷の赤滝に向かうわけですが、山を越えていったのでしょうか? 水神が山越えをするというのはどうもしっくりこないので、やはり川をさかのぼっていったと仮定します。すると今度は皆瀬川を引き返し、成瀬川に入り、またさかのぼるという長い旅路になります。
なんにせよ、お疲れ様でした。
のぼりのぼって、赤滝へ


赤滝近辺の様子が、菅江真澄の「駒形日記」に登場していますので紹介します。
……坂をくだれば赤瀧といふが落たり。赤瀧明神坐り。
坂をくだれば赤滝という滝が落ちている。赤滝明神がおありである。
水上は赤川の流にこそあなれ、しばしは横走して巖にかかりたり。
水上は赤川の流れであって、しばしば流れがうねって岩に当たっている。
木々いとふかく、紅葉しておもしろきところ也。
木々の深い、紅葉した趣深いところである。
紆余曲折の果てに能恵姫がたどり着いた赤滝は、菅江真澄も太鼓判を押す趣深い空間だったようです。
今でも能恵姫は赤滝で水神として、地域の人々とともに暮らしています。
いくちしほ 染る紅葉の 影おちて いといといろこき 赤瀧のみつ
これ以上ないほどに染まった紅葉が、赤瀧に影を落としている。
このように美しいさまを目にすれば、必ずや赤瀧に頭を垂れるだろう。
本日のブログはミレーがお送りしました。
「菅江真澄と歩く」シリーズ バックナンバー
①ジオサイト「院内銀山」より 「追憶の院内銀山」
②ジオサイト「山田」より 「突撃! 山田・松岡七不思議!」
③ジオサイト「稲川」より 「遥かなる稲庭うどん」
④ジオサイト「三関・須川」より 「三関・須川の石と河」
⑤ジオサイト「高松」より 「高松に燃える紅葉」
⑥ジオサイト「高松」より 「白く轟く川原毛地獄」
⑦ジオサイト「小安」より 「小安峡大噴湯、岩を割って息吹く」
⑧ジオサイト「小安」より 「今も昔も節理は摂理」