湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

美じん歴訪⑦ 野辺に咲く花 【完結】

2014-03-17

 みなさま、こんにちは。
 湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のミレーです。


 今回で美じん歴訪シリーズは最終回になります。
 「七小町」にかけまして、七回で終了ということにしました。
 というわけで、小野小町理解に関して、何かしらの決着をつけたいと思います。

 また長いですが、どうか気張ってお付き合いください。


 さて、前回の記事において、小野小町の相手としての「深草少将」という人物に関して、ひとつの結論を得ました。
 「深草少将は、小野小町と関係のあった男たちや、小野小町自身の想いに取材して作り出された“器”である」というものです。


 それでは、「小野小町」とは、一体何者なのでしょうか?


 小野小町は『古今和歌集目録』において、「出羽国郡司の娘」と書かれています。
 この記述が本当なら、「小野小町は雄勝町出身である」という説が俄然強化されます。しかし、ここで注目すべきなのは、仮にこの記述が嘘であっても、「なぜわざわざ出羽国郡司の娘という設定を作ったのか」ということです。嘘か真かはさておき、“書かれている”ということだけは事実ですから。

 小野良真の娘云々はさておき、小野小町が本当に記述のとおり出羽国郡司の娘であるなら、話は簡単です。雄勝町こそ「小野小町」の出生地です。やったね!

 しかし、「後世の設定説」をとる場合、「なぜ出羽国?」ということが重要になります。

 小野小町が生まれたとされる800年代前半は、桓武天皇の命により坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行った直後の時代です。その時の出羽(秋田県)は、都の人々にとって「なんだかよくわからないおっかない連中がたむろしている最果ての地」だったことでしょう。
 そして、後に六歌仙となり、数々の伝説を残すことになる少女は、“あえて”その“最果ての地”の生まれとされました。

 なぜ?

 以下のように考えられないでしょうか。

 「出羽」は都の人々にとって、未開にして恐ろしい場所であると同時に、むしろそうであるからこそ、ある種の畏怖、憧れ、そして神秘性をも抱かせました。
 女性としてただひとり六歌仙に選ばれ、紀貫之によって衣通姫にさえ比せられるほどの美貌であったと伝わる小野小町を“理解する”ために、“最果ての地・出羽からやってきた神秘の女性”という性格付けを行ったのです。小奇麗に区画整備され、人工物に囲まれた都ではなく、荒々しく鮮烈な自然に育まれた少女の方が、数々の活躍を成し遂げるに相応しいと思われたわけです。
 もちろん、火のない所に煙は立たず。小野小町の連なる小野氏が、実際に東北地方に縁が深かったということも大いに取材されたことでしょう。


 それでは、“本物の小野小町”はどこに?
 というわけで、いよいよ核心に近付いてまいりました。


 「小野小町」は一人ではなかった。


 これが私の論です。

 前の記事において、私は深草少将が創作の人物であるという事実から出発し、彼のことを『器』であると定義しました。

 そして、「小野小町」もまた、『器』である。

 このように考えたのです。

 よほどの活躍でもしない限り、歴史の中に名前すら残ることのなかった当時の女性たちにとって、「小野小町」の名は、彼女たちの生き様を刻み込み、映し出すことのできるこのうえない『器』でした。『器』だからこそ、同時代、さらに後の時代における数々の「女性の物語」を際限なく取り込むことで、「小野小町」という伝説の女性像が形成されてきたのです。
 古今和歌集においてあれだけの歌や贈答歌のやり取りが残されている以上、“六歌仙の小野小町”は間違いなく実在したはずです。そして、彼女こそ「小野小町」という器を作り上げる際の“核”となったことでしょう。ただ、“六歌仙の小野小町”の正体までは分かりません。あくまで個人的には“雄勝町の小野小町”こそ、その正体であると信じたいところですが、それはそれ。


 この「小野小町“器”説」をとることにより、小野小町理解は一気に自由度を増します。

 「小野小町は実在したのか、否か」・「小野小町の出生/死没の地は何処なのか」という終わりのない議論から解放されるのです。
 それは同時に、全国にあまた散らばる小野小町伝承に限りない承認を与えることにもなります。
 “○○県□□町こそ小野小町の出生の地である”という主張は、“その地から「小野小町」の形成に一翼を成した女性を輩出した”という「真実」へと昇華します。
 かの地の、名も知らぬ女性は、間違いなく「小野小町」でした。


 もちろん、“雄勝町の小野小町”も「真実」となります。
 それも、史実としての小野氏の経歴に始まり、過去の「神秘なる出羽」から現在の「秋田美人」まで連綿と続く確固たるイメージに裏打ちされた、歴史的にも物語的にも、限りなく「小野小町」の核心に近い女性こそ、“雄勝町の小野小町”なのです。
 そして何より、雄勝町には、かつて落魄した小野小町を暖かく迎え入れた際の優しさが、今もなお溢れています。


 また、ひとつ付け加えておきますと、秋田、それも特に県南地域における「美人」のイメージは一朝一夕に形作られたのではありません。この国の人間が「出羽」という地域を意識するのとほとんど同時に、「都とは決定的に異なる鮮烈なる大地」、そしてそこからやってきた「小野小町」という「美の顕現」に結び付けられ、「美人」のイメージが営々と紡がれてきました。
 さらに、小野小町の美の根拠となった「衣通姫」にまで目を向ければ、絢爛たる日本神話が両手を広げて待っています。

 歴史の曙からずっと、ゆざわは美の郷でした。



 結論としまして。
 以下が、ミレーの小野小町理解です。



 小野小町は実在した。
 しかし、「小野小町」はもはや“一人の人間”ではない。
 “実在した六歌仙の小野小町”を“核”とし、日本中から都に集まった“美しく才知に溢れ、されど名も知られぬあまたの女性たち”をモデルとして取り込むことで形成された『器』、それこそが「小野小町」の正体である。
 「小野小町」という『器』は後世全国に拡散し、現地の諸相を取り込むことで、さらに多くの伝説を生むことになった。

 “雄勝町の小野小町”は“実在した六歌仙の小野小町”であったかどうかの確証はないが、歴史的にも物語的にも、「小野小町」の形成に間違いなく巨大な役割を果たした。
 よって、“雄勝町の小野小町”は、紛れもない「小野小町」である。

 小野小町は、秋田県湯沢市旧雄勝町小野・福富の荘桐木田で生まれ、都では決して得られぬ自然の薫陶を受けて育った。大地の中で磨かれた溌剌たる魂は、大いなる風雅を開花させる土壌となり、類いまれなる詩歌の才として結実した。
 “都の外、遥か彼方の地”で育ったからこそ、小野小町は比類なき美貌に輝き、そして六歌仙たり得た。
 雄勝町で生まれ、育ったからこそ、小野小町は小野小町たり得たのである。

 “最終的に何がきっかけで”故郷である福富の荘に帰ってきたのかは定かではないが、小野小町はふるさとに暖かく迎え入れられ、静かに余生を過ごした。

  色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

 移り変わる心の花を詠みつつも、枯れることのない花を、後世の人の心に咲かせながら……




小野小町



 佐竹本三十六歌仙絵巻において、小野小町は後姿で描かれており、どのような顔貌であったかを知ることはできません。

 それでいいのです。
 「小野小町」はひとりではないのですから。

 かつての誰かのように、「小野小町」に焦がれ、求める者に、彼女はきっと振り向いてくれるでしょう。




 本日のブログはミレーがお送りしました。


「美じん歴訪」 バックナンバー

① 世界三大……もしくは四大美人
② 男たちの物語
③ いとせめて 恋しき時は……
④ うたた寝に 恋しき人を……
⑤ 幾百の夜を通う
⑥ 深き草葉を越えて
⑦ 野辺に咲く花 【完結】
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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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