湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ゆざわの温泉と近代交通機関

2014-05-07

こんにちは。事務局のかわべぇです。

みなさん、温泉は好きですか? わたしは温泉が好きで、たまに温泉に入りにいきます。特にゆざわの市街地にある温泉には、週に一度は行っています。

いまは、だいたいどこの地域でも「天然温泉」に入ることのできる施設があるものです。わたしの地元でも自動車で二十分ほどのところに日帰り温泉施設(スーパー銭湯などと呼ばれるものです)がありました。そこの湯は温度の低い鉱泉を加熱しているのですが、なんというか薄いコーヒー色のお湯でした。

横浜市港北区綱島には、綱島温泉(こちらも源泉温度が低いため、鉱泉なのですが)があります。そこの温泉も黒いお湯です。どちらも何泉だったのかは覚えておりませんが、どちらも似たような成分だったのではないかと思います。

綱島温泉は、一時期は「東京の奥座敷」と呼ばれるほどの温泉街だったそうです。横浜は神奈川県でも東京よりです。列車に乗ればあっという間ということで、都会の温泉場としてにぎわっていました。往復のきっぷと入浴券がセットになったものも販売されていました。

しかし、その後、交通機関が発達すると、少しずつ客足が遠のいていきました。東京を中心にした鉄道交通網が発達した結果、熱海や箱根、草津などの温泉街へのアクセスが容易になり、そちらの方に人が流れていったものと思われます。

温泉場の隆盛・衰退には、交通機関の発達が大きな影響を与えています。さて、ゆざわではどうだったのでしょうか?

明治時代、ほかの多くの地域と同じように、ゆざわでも近代的な交通機関の整備が行われました。
最初に入ってきたのは人力車です。どうやら明治20年代に入ってきて、30年代半ばに最盛期を迎えたようです。当初は鉄車輪の人力車でしたが、1909(明治42)年ごろからゴム車輪に変わったといいます。
また、明治期には湯沢から稲川に通じる山谷峠や稲庭から小安に通じる貝沼峠、文字越えの改修など、多くの街道が再整備されています。道が広く通りやすいものになることも後押しとなって、多くの人力車が行き交ったのではないかと思われます。
次に導入されたのが、鉄道です。東北における鉄道敷設は、北は青森方面、南は福島方面から着工されることになりました。秋田県はちょうど中間地点にあたるため、鉄道敷設の最終段階の上、日清戦争等の社会情勢によって、工事はなかなか進みませんでした。1902(明治35)年には、秋田県内一部区間が起工されましたが、戦時の軍資金供給のため、1905(明治38)年に全線開通という予定を変更して、工事が中止されました。しかし、地元の必死の働きかけにより工事が再開され、1904(明治37)年の9月には奥羽線が全線開通しました。

このように明治期には、交通機関が急速に発展しました。温泉郷への交通のようすを当時の資料から見てみましょう。
明治27年に発行された秋田県内の温泉を紹介した『秋田県温泉のしるべ』 では、各温泉郷の状況とともに、そこに行くための交通手段も記されています。

高松の泥湯温泉(どろゆおんせん)は、湯沢町(現在の湯沢市街地)から三途川までは、「平坦にして腕車(わんしゃ)を通す」とあります。腕車とは、人力車のことです。
しかし、そこから先は、「山路(やまじ)渓間(けいかん)にして牛馬(ぎゅうば)を通す」だけであり、「十一月より翌年三月に至るの間殆んと人跡(じんせき)を絶つ」と書かれています。明治半ばを過ぎても、近代的な交通機関の恩恵はなかなか受けられていなかったようです。

皆瀬の大湯温泉へは、湯沢方面もしくは増田方面から稲庭を経て向かったです。「小安湯元まて車馬(しゃば)を通す是より僅に小阪(しょうはん)ありと雖(いえど)も木履(ぼくり)を用ふる事可なり」とあります。現在の小安温泉郷のあたりからは徒歩でしたが、道は悪くなかったようです。

秋ノ宮の湯ノ岱温泉(ゆのたいおんせん)へは、道路の状態は良かったものの細い道であったため、馬車で向かうことは困難だったようです。ただし、「牛馬の往来(おうらい)を通るには易(や)すし」とあります。

『秋田県温泉のしるべ』では、院内の湯の沢温泉(ゆのさわおんせん)は、「道路は田畦(たあぜ)或は山際なるを以て便ならず」と紹介されています。ですが、1911(明治44)年発行の『秋田県案内』 では、「人車(じんしゃ)鉄道(てつどう)足を労せずして往復せらる暑中(しょちゅう)臨時(りんじ)の下車駅(げしゃえき)となり汽車賃(きしゃちん)も割引せられ県内に於て最も停車場(ていしゃじょう)に近き随一(ずいいち)の温泉なり」と記されています。先に述べたように、奥羽本線の全線開通が1904(明治37)年ですから、鉄道が通ると急速に交通の便において県内「随一の温泉」になったのだろうと思われます。

そのように劇的な変化をとげた場所もあれば、近代交通機関の恩恵をなかなか受けられなかった地域もあります。明治20年代の小安温泉は、道路事情が悪く、湯治に来る客も田植えの終わりから馬が通ることのできる秋までに限られており、宿の経営を行いながら、田畑および山林での仕事を行い、客の荷物を須川(すかわ)温泉(おんせん)まで運ぶ背負子(しょいこ)としても働いていたようです人力で荷物を運ぶ背負子以外にも、馬によって荷物を運ぶことが行われていました。この温泉場に関する運搬の仕事は、明治以前から行われていましたが、特に湯治に向かう人が多くなった明治期には、人々の貴重な現金収入源となっていました。

そんなわけで、交通機関の普及にも地域差はあり、またそれによる温泉場の変化もあった。というお話しでした。

当時の写真などがあればいいのですが、なかなか残されてもいませんで……もし人力車や当時の温泉の写真など、お餅の方がいましたら、ぜひ事務局までご連絡を!

以上、事務局のかわべぇが多くりしました。
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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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