湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山 エピソード

2014-06-25

本当に早いですね。油断をしていると自分の番が過ぎてしまいそうです。
何とか間に合いました。
今回は、院内銀山記の中に書かれている物の中から、津軽藩の殿様一行が、山形から秋田に入る時、杉峠越えするときに秋田藩と一足即発のエピソードがありました。それを書きます。
 ”津軽公大阪から帰陣のとき”
津軽越中守が大阪から帰陣の際、道中人馬の費用を考えての事か、伴の者が残らず甲冑を着けたまま大阪から最上まで来た。その時院内の郷士箭田野義正がこれを聞き、その様子を探った上で使者を及位に出し津軽公に強く抗議した。
 大阪は既に落城し今は天下泰平の御代となったのに、何の御用心のため佐竹の領内を甲冑のままお通りなさるのか。心得違いも甚だしい事です。早々に具足を解かれ、荷物にしてお通り下さい。甲冑を着けたる者は一騎たりとも通すわけにはまいりません。是非にもそのまま通ろうとするなら、われわれを討ち取ってお通り下さい。一戦を交える事も止むを得ないことです。云々。
 津軽の先陣が院内に来て密かに伺い見ると、箭田野はごく小身者と思いの外大軍勢で待ち受けているではないか。きっと湯沢・横手等の加勢もあろうと、早速帰って主君に言上すると、津軽公も箭田野の言をもっともと思われたのであろう、にわかに莚(むしろ)などを買い求めて荷作りし、何事もなく通ったという。
 ところでその大勢というのは、実は湯沢、横手の加勢を頼んだのではなくて、近郷近在の百姓共を老若かまわずかき集め、津軽公を欺いたのであった。人々は義正の機知をほめそやしたという。
 義正は元和九年(1623)六月三日に没した。享年五十九歳。生前箭田野氏は祖先の霊を祀るため一寺を建立した。雄勝山信翁院がこれである。思うに義正の法号《信翁院殿質忠英公大居士》はここから採ったものであろう。歴代の墓がこの境内にある。大山氏の菩提寺は元仙北郡八幡(角館の近辺)の東陽寺であったが、延宝年間院内に移住してからの墓はやはりこの境内にある。
 それでは、さようなら、ごきげんよう。
 次回は、箭田野安房守鎮将
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