湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 異人館編 パート3

2014-10-29

先回は、異人館にドイツ人技師が来て、異人館に住んだお話をしましたが、今回も、もう少し明治維新後の院内銀山の様子を書きたいと思います。 (院内銀山史より)
明治期の院内銀山は維新後の混乱から、まだ、立ち直っておらず、生産量が低下していましたが、明治の新政府は再興にに力を注ぎ、調査の外国人技師を派遣した。明治5年イギリス人ゴットフレー、明治9年フランス人コワニーが東北諸鉱山を調査し院内にも立ちより、更にこの年には、後の日本国初代の総理大臣になる伊藤博文(当時は工部卿)も訪れています。明治10年には工部省院内分局に福島晩郎が派遣され、明治12年には主任になっている。この役職は福島晩郎一代限りであったが、院内銀山の近代化経営はここから始まった。福島晩郎着任後選鉱所設置・湿式精錬の改良などが行われ、先回も話をした、ドイツ人技師が明治12年から16年の間に5人もやってきました。ところが、新しい機械や外国の技術者がやってきて技指導したが、銀の産出量が増えることはなく、逆に低下してしまい、明治15年には一時停止に追い込まれた。この原因は、院内銀山で働く人たちの不平不満が底辺にあったと思われる。秋田藩においては、維新で、官軍として大いに奮戦し、勝利したのは、われわれが頑張ったからだという自負心があった。しかし、実際は明治新政府になってから薩長ほどに明治新政府によって厚遇されることはなかった。そのための不満がくすぶっていて、新政府のやり方に反発する力が働いてしまったのではないか。その証拠に、明治18年初代古河鉱業院内鉱山所長であった木村長七の自伝には、次の記述がある。『当鉱山は官行時代操業が非常に困難の山だったのです。それは秋田藩は明治維新の時朝廷に従い敵を防御したというので、その功労に誇る士族が上院内にも下院内にも多くあって、鉱山に関係しているものですから、自負心が強く稼行主にも余り敬意を払わぬという気風があった。』
 明治14年の明治天皇の東北巡幸の際、院内銀山を見学しているが、このことは、金名子・友子制度の廃止・弱体化と、前述の勤王藩としての自負心を弱める事を天皇の威光にによって推進することを狙いとしたという説もあります。
 明治13年『工場払下概則』が明治新政府によって交布され、官営工場の払い下げが始まったが、官営鉱山も民間に払い下げられることとなった。
 明治9年10月荒川・古河市兵衛、明治17年8月小坂・藤田組、明治18年1月院内・古河市兵衛、明治18年4月阿仁・古河市兵衛、明治29年9月生野・三菱合資会社、明治29年9月佐渡・三菱合資会社 以上今日はここまでです。
 それでは、ごきげんよう、さようなら
選鉱場この写真は選鉱場の写真
選鉱場1
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