湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 寄り道編パート3

2014-11-22

今回は、院内銀山の明治初期に活躍した人物の事を書いていますが、先回の、ドイツ人ゴットフレーについてを終了し、2人目の、国司仙吉(くにしせんきち)について書きます。この人は院内銀山が明治初期に新政府が管理した時、(明治8年)最初の責任者として貢献しました。また、国司仙吉は、秋田県教育行政の功労者としも有名な人です。
   秋田県権令 国司 仙吉(くにしせんきち)
 鉱山師長ゴットフレーの点検があって、院内は、釜石鉄山に次いで明治8年(1875年)8月阿仁銅山とともに工部省に移り、11月ここに支庁が置かれた。官行前に秋田県が管理していた関係から、開設当時は、権令(知事)名義で国司仙吉が兼務した。
 国司は、弘化3年(1846年)長州藩士の子として萩城下に生まれた。高杉晋作や山県有朋とともに松下村塾に学び、慶応4年(1868年)会計局権大属となり、明治4年(1871年)木更津県・印旛県参事に就く。さらに、明治6年(1873年)28歳で県令の置かれない秋田県政トップの権令(知事)に抜擢され、正六位に叙せられた。
 翌7年(1874年)秋田県下の有力鉱山を一手に経営する小野組が、11月官金に対する担保の提供を求められて瓦解した。阿仁・院内の両鉱山は政府に返納され、秋田県がしばらく管理(假かり官行)する。国司は、ここで鉱山業を知る機会が与えられた。
 彼は、地租の改正準備や小学教育の普及に努めたが、たまたま、県内に起きた徴兵反対運動の責任もあって、位記(正六位)を返上して辞めてしまう。
 明治8年9月8日            
 秋田県権令  国司 仙吉
 1 依願免本官
    但位記返上之事
   右宣下相成候事
( 院内銀山 明治初期に活躍した人々 (会誌『院内銀山』第30号より)
  みゆき坑の官員達  福島晩郎と牧 相信  (吉田 國夫著))
国司
【生没年】弘化3(1846年)- 大正4(1915年)
【享年】 70 歳
【誕生地】長門国萩松本村(萩市椿東)
プロフィール

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