湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 寄り道編パート4

2014-11-28

先回は、院内銀山が明治新政府により、直接管理されることになり、当時の秋田県権令(知事)であった国司(くにし)仙吉が院内銀山の最高責任者も兼ねる事になったが、2年間で秋田県の権令(知事)を辞職してしまったところ迄書きました。
今回は、それ以降の国司仙吉について書きます。

秋田県の首長という栄光の道を絶った理由は、叔父の前原一誠に帰郷を勧められたからといわれる。前原も松陰の門下で、維新後に参議、兵部大輔に就いたが、明治3年(1870年)帰郷して不平士族に推されて『萩の乱』に巻き込まれた人物として知られる。
 国司は一旦、帰京したが同郷の先輩木戸孝允(こういん)に勧められ、二か月後に六等出仕として工部省入りした。
 院内鉱山とは、余程、縁があったのだろう。今度は、県から工部省の直轄に移って現場の管理にあたった。彼は、「元権令」の素振りを微塵にも見せず、前歴を語ることは全くなかったという。
 明治10年(1877年)1月工部少書記官に任ぜられ、機構改革によって阿仁の鉱山分局を管理し、替って院内は、工部四等属福島晩郎が主任に就いた。
 国司仙吉は、その後、工部大書記官となって本省の用度課長を勤めたが、明治18年(1885年)12月工部省の廃止を区切りに官界を離れ、初任地の千葉県に移って自適の生活を送った。ひととき、牧畜や開墾事業を手掛けたが大正4年(1915年)70歳の生涯を終えた。
 国司仙吉は、維新を彩る薩長グループの一人として院内で指揮をとった。替って薩摩鹿児島の支藩を受け継ぎ、佐土原県に合併した福島晩郎が赴任したのも、当時の日本が薩長を軸に回っていたと見られる。
主鈴坂より銀山町を望む
明治時代の院内銀山町の様子。主鈴坂より院内町を望む。
現在は、一軒の家もなく、ただ、金山神社がぽつんと建っているのみです。
次回は、更に寄り道の寄り道をして、今日のブログの中に出てきた、幕末から維新にかけて活躍した3人(私がそう思っている)『坂本竜馬・西郷隆盛・桂小五郎』の中の、桂小五郎(木戸孝允(こういん))について書きたいと思います。
 それでは、ごきげんよう、さようなら
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