湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く  寄り道編パート6

2014-12-16

 先回までは、国司仙吉について書いていて、寄り道ついで《桂小五郎》や《松下村塾》について書きました。
また、元に戻って、明治新政府時代の院内銀山において、銀山の近代化を推進したもっとも重要な人物である(私がそう思っている)福島晩郎について書きたいと思います。
    工部一等属 福島 晩郎を追う
     院内銀山 明治初期に活躍した人々 (会誌『院内銀山』第30号より)
             みゆき坑の官員達  福島晩郎と牧 相信  (吉田 國夫著)
福島晩郎は、明治14年(1881年)9月明治天皇が銀山の五番坑にお立ちよりの際、先導を勤めた官員として知られる。
 明治10年(1877年)4月院内支庁が阿仁に附属する院内分局と改称されるに当たって、工部省佐渡支庁に在った工部四等属福島晩郎が着任した。ここで、彼は阿仁・院内を統括する国司仙吉の指揮下で院内の責任者として勤めた。
 福島晩郎の出自については、長い間分らなかった。昭和58年11月私は、上院内の斎藤誠一氏の自宅を訪ねた。院内銀山の顕彰会が発足し、明治天皇の御臨幸百年記念祭(昭和55年)の準備に入る頃にさかのぼる。
 斎藤氏は福島晩郎の薩摩出身を聞き伝えに地元新聞への照会を思いつき、鹿児島の知人に依頼された。
 調べると、関連する記事が昭和53年3月15日付けの『南日本新聞』に載っていた。
 それから数年が経ち、北九州市若松区に在住の福島幸男氏から斎藤会長の許へ『私が福島晩郎の孫』と名乗る手紙が届く。
 こうした背景があって、会誌『院内銀山』第九号に、始めて『祖父福島晩郎について』の記事が紹介される。
 福島晩郎が生まれた宮崎は、藩政時代は延岡藩(七万石)の飛地であった。延岡藩士福島邦成の弟として、日向国宮崎郡下、大淀川右岸の大淀村(現宮崎市淀川町)に生まれた。なぜか生年が定かではない。


福島晩朗
この写真は福島晩郎の貴重な写真です。写りがあまりよくありませんがよろしくお願いします。
次回は、福島晩郎のお兄さんについて書きますので、よろしくお願いします。
それでは、ごきげんよう、さようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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