湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 寄り道編 パート6

2014-12-22

 先回は、明治新政府が院内銀山を管理していた時に、近代化を推し進めた第一の功労者である(私がそう思っている)福島晩郎についてさわりの部分を書きました。
 今回は、晩郎の実の兄について書きます。


まず、兄にあたる福島邦成について言えば、彼は修斉・進郷・退庵・立庵・橘南・葵園などの別名がある。文政二年(1819年)に生まれ、天保7年(1836年)単身江戸に出て湯島の聖堂に漢学を学び、坪井玄朴のもとで西洋医術を学んだ・
 その後、緒方洪庵の適塾に入り、さらに長崎に上り、オランダの医学を修業する。云わば、江戸末期の洋学のコースを歩んだ当時の典型的なエリートである。
 福島邦成は、明治4年(1871年)都城県の創設に当たり、病院の設立を建言して訓導氏となった。同6年上京して翌年十等出仕として陸軍省に勤めたが病気の為に帰郷して病院を開き、宮崎県の医学の発展に貢献した。いま、市内を流れる大淀川に架かる橘橋は、邦成が私財を投じて最初に架けたもので、橘南の異名から名付けられた。
 福島邦成は、明治31年(1898年)享年83歳で死去した。
 邦成と違って、福島晩郎は、さほど出自も明らかではない。出生地が延岡藩領であったころに辿ると出自の背景が浮かび上がる。現在の宮崎市は、平野の中央を割って大淀川が流れ、周囲を天領(幕領)や佐土原、延岡、飫肥、島津、高鍋の各藩領が取り囲んだ。

院内銀山 明治初期に活躍した人々 (会誌『院内銀山』第30号より)
 みゆき坑の官員達  福島晩郎と牧 相信  (吉田 國夫著)
**緒方洪庵とは、
 緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日))は江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。
洪庵の功績としてもっとも有名なのが、適塾から福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出したことである。 (ウキペディアより)
ボイラー
院内銀山の明治初期の近代化の一つ
主鈴坂より銀山町を望む
明治初期の銀山町の様子 主鈴坂より院内町を写す。
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