湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く  近代化の立役者 牧相信編

2015-01-21

先回まで、院内銀山の明治維新後、国が管理した時に近代化を図ったが、それにかかわった4人の人物について、吉田國夫氏の描かれた文章を案内してきましたが、いよいよ、4人目の最後の人物である工部技手である『牧 相信』(まきまさのぶ)(まきそうしん ともいう)について、会誌『院内銀山』第30号に書かれている文章をご案内します。
 院内銀山 明治初期に活躍した人々 (会誌『院内銀山』第30号より)
  みゆき坑の官員達  福島晩郎と牧 相信  (吉田 國夫著)
      工部技手 牧 相信(まきまさのぶ)

  明治天皇のご臨幸に、福島晩郎とともに、みゆき坑をご案内した職員に牧相信がいる。
 父の熊本藩士の長男として肥後国.飽田郡池田村に生まれた。そこは、熊本城下の南西部にあたり、坪井川と井芹川とに挟まれた植木台地南部と京町台地一帯をいう。
 出生を明かす記録は残っていない。ただ、彼が修業した工部大学校前身の工部省「工学校」の規則から推定できる。
 それには、「小学生徒13歳ヨリ17歳ヲ限ル」の定則(明治5年(1871年)がある。また、後身の工部大学校による「課並び諸規則」(明治18年4月改正)には、「年齢15歳以上19歳迄ニシテ體質健康品行端正ナルモノヲ試験シ合格及第スルモノハ入校ヲ許ス」とある。
 これらの規定から、牧の出生は安政年間(1854-60)と同定される。
 牧相信(まきまさのぶ)を述べるまえに、熊本藩の出身で大学南校や工部大学校に学んだ安東清人・近藤貴蔵二人の鉱山学徒から紹介する。
 安東清人は、安政元年(1854)に生まれ、明治三年(1870)熊本藩の貢進生として知られ、同6年(1873)開成学校(東京大学の前身)の開業式には外国人鉱山学教師の天覧実験に訳者を勤めた。
 明治8年(1875)鳩山和夫、小村寿太郎、菊池武夫らともに文部省の第一回海外貸費留学生に選ばれ、ドイツのフライベルク鉱山学校に学んだ。
 帰国後、文部省少書記官に進んだが明治19年(1886)33歳で病没した。唐澤富太郎の「貢進生」には、『長生きをしていたならばより大きな業績を残した人物であろうと惜しまれる』と載せてある。
 もう一人を近藤貴蔵という。牧相信の一年先輩に当たり、工部大学校鉱山学科の第一回卒業生である。
 工部大学校は、はじめ、工学寮と云った。明治4年工部省が工業士官を養成する目的で開設し、明治10年(1877)工業のエンジニア教育を目指して改称する。修業年限六年の土木・機械・化学・通信・造家・鉱山・冶金の七科からなり、最後二年の実地学には工部省の官営現場を活用して卒業論文にまとめるという仕組みであった。
 近藤は、明治六年工学寮へ官費入学し、日本最初の工学士として工部大学校を卒業する。同期にはタカジアスターゼを創製した高峰譲吉(化学)や造家科(建築)出身で、東京駅を設計した辰野金吾らがいる。
 彼は卒業と同時に留学を命じられ、ロンドン大学で鉱山学を専修したが肺病を患い、明治14年(1881)12月帰国の途中で客死した。


   この二人は熊本から鉱山学徒として、牧相信の先輩として活躍した人でした。
 また、文の中に出てきた、鳩山和夫は、有名な鳩山一族の礎を築いた人です。
今日はこの辺で終了いたします。ごきげんよう、さようなら
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