湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治の近代化を推進した人々 牧相信編

2015-01-27

先回は、院内銀山の明治初期の近代化を推進した4人の人々の最後の人である『牧相信』(まきまさのぶ)について、会誌『院内銀山』に書いた吉田國夫著のものを案内しました。

今回は、いよいよ、牧相信(まきまさのぶ)について、詳しく案内いたします。

今回の牧相信の詳しい案内については、インターネットで調べた『牧 相信の面影』より案内いたします。
         『牧 相信の面影』より              

  Ⅰ.生い立ち
 牧相信は、肥後細川藩の譜代家臣の家柄に生まれた。出生場所は、肥後国飽田郡池田村(現 熊本市京町付近)。牧家は細川ガラシャが輿入れをした近江の“青龍寺城”時代からの家臣と言うから細川家の根本家臣で家格も高く、禄千石が与えられていたという。愛媛では「まきそうしん」と言い習わしているが、元々は「まきまさのぶ」と呼ぶのが正しいらしい。兄に牧相之がいる。地元の名士で、西南戦争で荒れ果てた郷土を立て直すために奔走、有能な人材を育成して、自らも県会議員となって活躍した(「近代肥後人物史」 下田曲水編 大正14年刊)。相信の生年月日は不明であるが、工部寮の入学年齢の規定や、大正10年に六十余歳で死亡したこと(近代肥後人物史)などから、江戸末期の安政後半から文久年間にかけての生まれと推測される。幼少期から兄弟ともに聡明で、家柄も申し分ないことから、特に選抜されて明治6年、東京の工学寮(東京帝国大学工学部の前身)に第一期生として入学した。

Ⅱ.工部大学校時代
 明治6年、相信は、工学寮に選抜試験を受けて乙種入学を許可された。甲種入学は国費学生、乙種入学は通学生、おそらく私費を払っての入学だったと考えられるが翌年からは国費学生に統一された。工部寮には、機械科、化学科、冶金科、鉱山科、造家科など近代国家を建設するための理工学科が創設され、多くの外国傭人が教育に当たった。寮はその後、工部大学校に改組され、さらに多くの学科と入学学生を整えて、国営企業や政府の枢要となる人材育成に力を入れ、彼が卒業する頃には、官学としての基礎が確立された。彼は、明治13年5月に工部大学校第二期卒業生として6年間の学業を終え、直ちに工部省管轄の院内銀山に派遣された。東大には今も彼の卒業論文が残っている。内容はジガー(淘汰機)に関する自筆の英文原稿で、手選に替わる鉱山の近代化を推進するために院内、佐渡鉱山に初めて導入された。彼が院内銀山に派遣されたのも、こうした理由に依るものかもしれない。なお、当時の大学の様子は「工部大学校史料」(国立国会図書館 デジタルライブラリ公開)に詳しく、口絵に各期卒業生の集合写真も掲載されているが、第一期、第二期生のそれは何故か欠如している。当時の写真の普及率から見て仕方がないとは思われるが残念でならない。

磯前神社
上記の写真が、『牧 相信の大学卒業論文で、《会誌 院内銀山 第30号》 吉田國夫氏論文より転載
とりあえず、今日はここまでにいたします。それでは、ごきげんよう、さようなら。




 
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