湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 、明治の近代化を推進した人々 牧相信編

2015-02-14

先回は、牧 相信編の、院内銀山における様子と、一大イベントであった”明治天皇の東北巡幸における院内銀山行幸”について案内いたしました。
今回は、牧が院内銀山を去り、藤田組に勤務したり、市之川鉱山に勤務、別子銅山に勤務、最後は住友を退職して最後は兵庫県の現在の神戸市に住んで60余歳で亡くなりました。
銀山時代以降の内容を少し詳しく案内して、牧相信(まきまさのぶ)について、終了したいと思います。
インターネットの『ジローくんの日記帳』に詳しく書かれているのを、ミラーマンなりに要約します。
 院内銀山をあとにして新天地を求めていたが、明治20年に大阪にある『藤田組』に入社しました。藤田組総帥の藤田伝三郎は長州藩出身で明治新政府に取り入った御用商人だった。時勢を読む力があり、名門企業に発展させた立役者でした。藤田組が鉱山業に力を入れ始めた時期(明治17年)に、『市之川鉱山』を愛媛県から任されて伸びていくころ、明治20年に牧相信は藤田組に入り、市之川鉱山に携わりました。しかし、2年ほどで、藤田組は愛媛県からの請負契約を一方的に解消されてしまいました。がその時、牧は経営に携わっていたので、数年後に再び、この地に帰ってくることになりました。
明治27年『市之川鉱山株式会社』と名を変えた市之川鉱山に就職しました。以後、会社が不況で解散となる明治35年まで鉱山経営の中心で活躍しました。
明治39年3月『別子銅山』の採鉱課主任として就職しました。直ちに山中の飯場改革に取り掛かった。(この改革は院内銀山や市之川鉱山時代の経験が生かされていた。) 着任から4カ月後には、早くも牧相信暗殺計画が練られたというが、そんな脅しにも屈せず、ピンハネで稼いでいた鉱夫頭や請負人を次々に解雇し、坑内役局を坑外に移して、坑夫の割り付けを採鉱課直轄にしようとした。このようなことに対して、暴動が起こった。裁判にまでなってしまった。
 晩年は住友を退職後、50代後半頃に兵庫県武庫郡魚崎村字横屋(現、神戸市東灘区)に自邸を構えて、大正10年1月に享年60余歳で死亡したことが、『近代肥後人物史』に記されている。

少し簡単すぎましたが、院内銀山以後の牧相信についての案内をしました。
牧
この写真は牧相信が写っている貴重な写真です。写真下段(座っている人達)の左から三番目の人が牧相信です。

それでは、ごきげんよう さようなら
プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
01 | 2015/02 | 03
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
湯沢市のお天気時計
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
Yahoo!ニュース
RSSリンクの表示
QRコード
QR
都道府県別アクセス数
過去1週間の状況です

ジオターゲティング