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ミラーマン 院内銀山を行く 西三番共葬墓地編 江戸相撲墓

2015-04-26

先回から、江戸相撲の布ヶ瀧関の御墓について案内していますが、今回は門屋養安日記について、第一人者である茶谷十六氏の書いた本の中から、江戸相撲の興行について書かれている部分の解説も含めて案内したいと思います。


茶谷十六著 『院内銀山の日々』・・「門屋養安日記」の世界から

共葬墓地には、江戸相撲の力士であった関脇《布ヶ瀧》関のお墓があります。
亡くなったのは江戸ですが、何度も院内銀山に来て相撲を取っていたので、亡くなったら、院内銀山にお墓を建ててほしいという願いから、ここにお墓が建てられました。養安日記の中に《布ヶ瀧》関の死亡記事はないが数回相撲興業で訪れていることが描かれています。その様子を本の中から記述します。
《相撲》
「盆に三日間の興行」
天保10年(1839)は、幕末期院内銀山の絶頂期である。この年、門屋養安は48歳。養安自身にとっても、生涯の絶頂期であった。
この年のお盆の日記には、養安は次のように記している。
「7月16日、昼頃より、御台所前にて角力これあり候。中川左兵衛殿へ盆礼に罷り越し、大酔に預かり候。角力見申さず候。踊り、外にてこれあり」
中川左兵衛は、前年に佐渡から招へいされた金銀吹分け師。精錬技術の指導者として、支配人並みの厚遇を受けており、着任以来、養安と最も親しく交際していた。
この日、養安は、銀山町の家々を盆礼に回り、左兵衛の家に上がり込んでたらふく御馳走になり大酔した。御台所の前で相撲があったが、見には行かなかった。前日、一日中降り続けた雨が上がって、この夜の盆踊りは外で行われた。
男盛りの養安が、お盆の数日間どのように過ごしたかが、目に浮かぶようだ。
ところで、、お盆の行事の中での最大の呼び物が相撲であった。例年の日記に、養安は、銀山町で行われた相撲について、詳しい記録を残している。
天保11年の日記を見てみよう。
「7月14日、十歩一に於いて、相撲興行。山内の者、法楽。表御門にて手に印判押し候。麓の者は、大札一枚百文の由。初日にこれあり候へ共、入り多く賑々しく、取り仕舞迄、首尾好く相済申し候。御詰合様、御出でこれなく、御上桟敷へ、村木六郎兵衛殿・杉田久吉殿、御名代に参られ候。小生も罷り越し見物いたし、暮頃罷り帰り候。大関大木戸長太夫、春日淵万之助、勧進元布ヶ瀧音右衛門。晴三日これある筈」
院内銀山地内への入り口である十歩一で、相撲の興行が始った。銀山町住民に対しては、法楽、つまり慰労のための無料招待とされ、見物に出かける者は、表御門で手に印判を押してもらい、木戸を通る時にそれを示して入場した。麓の町や村から見物に来た者たちは、一枚百文の木戸銭を払って入場した。
手に押されたスタンプを見せて木戸を通るとは、いかには法楽相撲にふさわしいおおらかでのどかな光景だ。
この日は初日にもかかわらず大入りで、打ち止めまで首尾よく進行した。
詰合役人の列席がなかったので、支配人の村木六郎兵衛と重手代の杉田久吉が、名代として桟敷の上座に座った。養安も出かけて、一日見物して、日暮れ頃に帰宅した。
大関大木戸長太夫・春日淵万之助・関脇布ヶ瀧音右衛門は、いずれも江戸の大相撲の力士たちだ。晴天であれば、三日間の興行の予定であった。

7月15日、相撲へ、小貫様、御出で成し置かれ候よし。介川様は、今朝御台所へも御出でこれなく、まして相撲へ御出で成し置かれず候」
「横堀酒屋衆三人・長野屋松兵衛殿、盆礼に罷り越し候。旦那様相撲へ御出で跡へ参り、御用も弁じ兼ね候とて、日帰りいたし候。昼過ぎ、御台所にて、御酒下され候。角力中入りより、小貫様御帰り成られ候。夜中踊り賑々しく」
朝、手代一同が御台所に参集してお盆礼が行われた後、詰合役人の小貫東馬が相撲見物に出向いた。同役の介川頼母は、体調が悪く、御台所へも出仕せず、まして相撲見物には出かけられなかった。
横堀の酒屋衆が盆礼にやってきたが、詰合役人が相撲見物に出かけて留守なので、用を果たせず帰っていった。相撲の中入りで、小貫東馬は退席した。
この夜、盆踊りが賑々しく繰り広げられた。
「7月16日、相撲、十歩一にてこれあり候。小貫様も御出で遊され候」
「7月18日、長床に於いて、法楽角力取らせ置かれ、小貫様御出で。角力、上段五人づつ、初切四人づつ、都合十八人、振替え勝負。面白く角力見物いたし、暮前相仕舞い申し候」
15日に引き続いて、16日にも十歩一で相撲の興行が続けられる。晴れ三日の興行の後、一日置いて、18日には、山神堂境内長床で法楽相撲が行われ、両日とも詰合役人の小貫東馬が参席する。
上位五組の取り組みの他に、四組の初切相撲が行われた。初切は、相撲興行で、余興に行う滑稽で軽妙な娯楽的な相撲のことだ。盆の興行にふさわしく、観客を喜ばせる大サービスが行われたことがうかがわれる。
相撲は、芝居とならんで江戸文化の華であった。
江戸の大相撲の一行を院内銀山町に迎えて、晴れ三日の興行を行うためには、いったいどれほどの経費が必要であったのだろう。それは、途方もない額であったに違いない。
江戸の大相撲を迎えての盆の法楽相撲は、院内銀山の空前の繁栄を象徴する一大イベントであったといえよう。

IMG_4894.jpg
この写真は、昨年写したものですが、残念ですが3年前より布ヶ瀧関の御墓は倒れたままで、起こされていません。重くて一人ではどうにもなりません。

江戸相撲墓については、これで終わります。
ごきげんよう、さようなら
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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