湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 西三番共葬墓地 『山中友子墓』

2015-07-13



『山中友子墓』について、案内していますが、先回までは『院内銀山史』 渡部和男著の中の記述の案内をしましたが、
今回から、茶谷十六著 院内銀山の日々 『門屋養安日記』の世界 より の中に書かれている『山中友子』の部分を数回に分けて、ご案内いたします。



茶谷十六著  院内銀山の日々 『門屋養安日記』の世界  より
 友子 1
 鉱山労働者が結束
 弘化2年(1845)、文久元年(1861)、元治元年(1864) 門屋養安が日記に書きとめた三度の金掘騒動の記述にいち早く着目したのは、高知大学助教授の荻慎一郎さんである。
 荻さんは、長年秋田大学で教鞭を執り、その間、県内の鉱山をくまなく巡り歩いて史料を探索し、鉱山社会の分析に情熱を傾けてきた。郷里の高知に移ってからも、秋田の鉱山史にかかわる数多くの論文を発表している。近著『近世鉱山社会史の研究』(思文閣出版)は、長年の研究成果を集大成した労作だ。荻さんの研究にとって、これまで不明なことの多かった秋田の鉱山社会の仕組みがずいぶん明らかになった。
 弘化2年の騒動の際、立ち上がった金掘たちが要求した中に、「諸突合(諸付き合い)」、すなわち鉱夫たちの交際に関する事項があることに、荻さんは注目する。金掘たちが、それぞれの直接の雇用者(金名子)の相違を越えて鉱山労働者としての階級的な横のつながりを持った背景として、日常的な交際が存在していたことに着目するからだ。
 銀山町における金掘たちの日常的な交際と結束、それを持ったのが『友子』であった。
 友子は江戸時代の鉱山で生まれた金掘たちの同職組合である。
 友子の活動には、大きく四つのことがある。
●第一は、熟練採鉱夫を養成するための、技術・技能の伝授だ。金掘大工は、鎚(つち)と鏨(たがね)だけで銀鉱石を掘りだす専門技術者だ。その技術は、先輩から後輩へと、直接伝授された。坑内労働に従事しようとする者は、まず、14・5歳で掘子となり、鉱石の運搬に携わる。やがて先輩鉱夫の徒弟となって、技術を身につける。徒弟関係を結ぶ際には、「取り立て」という儀式を執り行う。
杯を酌み交わし、親分・子分、兄弟分の関係を結んだ金掘は、生涯その関係を大切に守る。
●第二は、日常生活の中での相互救済だ。鉱山では、事故による怪我や、職業病であるよろけ(珪肺病)などが多発した。さらに、金掘の中には、妻帯しない独身者が多かった。病気やけが、老衰、さらに死亡の際の相互扶助、これが友子の大切な活動であった。病気の際の見舞いや、死亡の際の香典、廃疾者の救済のことが細かく取り決められ、それが具体的に実行された。
●第三は、日常的な交際を通しての親睦・交流だ。金掘たちは、労働と生活の日常の中で、自治的な組織を作り、しばしば会合を開き、飲食を共にして信仰を深め、金掘としての自覚と連帯感を確かめあった。
「金掘の道」「友子朋輩の堅き交わり」という言葉に象徴されるような、独特な誇り高い結束が培われた。
●第四は、金掘の移動を保障する浪人制度である。鉱山は、盛衰の激しい産業だ。豊かな鉱脈の発見によって栄えるときには、多数の大工・掘子を必要とするが、鉱脈が枯渇して衰微すれば、たちまち不要な労働力が生まれる。金掘たちは、自らの働き場所を求めて、全国各地を渡り歩いた。それだけではない。金掘たちは、自分の技術、技能を磨くために、率先して各地の鉱山を巡ったともいわれる。
 そもそも、鉱山がある場所は、地形・地層・地質が多様であった。そのうえ、鉱石の状況は、金属の化合状態によって、まさに千変万化である。だから、そこで採鉱と労働の条件も実に多様に変化している。それに対応して、採鉱の技術・技能も、各鉱山によって異なっていた。優れた鉱夫になる為には、各地の鉱山を回って、すぐれた先輩鉱夫の教えを受けたり、自分で経験を積み、技術・技能の多様性と一般性を身につける必要があった。鉱夫が旅をするのは、そうした技術・技能を身につけ、錬磨するためであったという。
 そして、全国各地の鉱山を最も活発に渡り歩いたのが、秋田の鉱夫であったといわれ、渡り金掘は、秋田の鉱夫の別名であったとさえいわれている。
 旅する鉱夫は、浪人鉱夫と呼ばれ、彼らが立ち寄った鉱山では、友子に組織された鉱夫たちが、一宿一飯の仁義をもってこれを迎え、酒肴の饗応をして、次の鉱山へ送り出した。鉱夫の活動は、友子制度・取り立て制度・浪人制度という特異な組織をもって、全国にその根をはりめぐらせていたのである。
 そして、養安日記の膨大な記録の中から、友子に関する記述を発見したのは、荻慎一郎さんの慧眼(けいがん)であった。

最後に、『山中友子墓』である
秋田 熊谷政吉之碑をご案内いたします


秋田熊谷政吉1
上記の写真が、正面の墓の写真

秋田熊谷政吉3

この上が左面の写真
依母舎弟や子分の文字が見える。


秋田熊谷政吉4

次回は、同じく友子2をご案内いたします。
ごきげんよう、さようなら。



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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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