湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 西三番共葬墓地編 山中友子墓

2015-07-18

山中友子の墓について、ご案内していますが、
今回も、先回同様 茶谷十六著 院内銀山の日記 『門屋養安日記』より
友子ー2よりご案内いたします。


 友子 2
 盛大に取り立て式の宴


 鉱夫の同組織を意味する友子という言葉は、天保年間(1830-43)にはすでに使われていたようであるが、門屋養安の35年間に及ぶ日記の中に、友子という言葉そのものは存在しない。だが、養安が生きた時代の院内銀山に、確かに友子が存在したことを、養安は豊富な事例を挙げて記録している。
 安政5年(1858)の日記に次の記述がある。
「7月14日、金名子仁八家にて、大工・掘子、取り立てこれあり。惣人数、大工・掘子、前々より此度の程人数余計成る事これなし。見物人々莫大夥(おびただ)しき事と承り申し候」
 金名子の仁八の家で、金掘大工と掘子の取り立て式が行われた。人数は明らかではないが、これまでに前例がないほど大人数の大工・掘子が取り立てられた。盛大な儀式と祝宴が執り行われ、見物人が大勢集まったということだ。
 養安自身は、その場に立ち会ったのではなく、人づてに聞いた話のようであるが、友子制度の中で最も大切な行事である取り立て式が、盛大に執り行われている様子が、生き生きと書き留められている。


 養安の日記には、取り立てという言葉がしばしば登場する。その大部分は、未払いの薬代や賃金の取り立てことだ。数多い事例の中にあって、この記述の中の取り立てが、友子の取り立て式を意味することに着眼したのは、荻慎一郎さんである。長年鉱山社会史の研究を積み重ねてきた荻さんにしてはじめて可能な大発見であった。
 村串仁三郎『日本の鉱夫―友子制度の歴史―』(世界書院)は、最近出版された友子制度についてのわかりやすい概説書である。著者の村串さんは法政大学教授で、日本の伝統的労使関係としての友子制度に着目し、その発生から成長、衰退、消滅の過程を、長年にわたって追及して来た。
 「友子を長い間研究してきて、友子鉱夫たちの仲間を思いやる心情に痛く感動せざるを得なかった」という言葉からうかがわれるように、鉱山労働者にむけられる村串さんの眼差しは温かい。
 村串さんは、院内銀山で執り行われた取り立て式の重要さを早速評価し、「門屋養安日記」の存在を紹介している。
 取り立て式は、江戸時代から明治になってもそのまま続けられ、大正を経て、昭和30年代まで存続した。
 明治以後の事例であるが、取り立て式の次第は、次のようであった。
 「酒席にうすべりを敷き、上に盃盤をつらね、親分・子分の契りを結ぶ年配者と年少者が三尺を隔てて座す。立会者、左右の手に盃を持し、腕を伸ばして、これを結びの盃と称し、親分・子分の契約締盟の礼となす」
 一見やくざの親分・子分の固めの盃(さかずき)のようであるが、多くの参会者を含めて、金掘の道の厳しさと結束の堅さを確認し合ったのであろう。厳粛な式の後に、盛大な宴会が催されたことはいうまでもない。
 


少し長くなったので、今回はここまでにいたします。
最後に、山中友子墓と思われる、お墓の案内をします。
森新蔵1

森新蔵2

森新蔵4

それでは、ごきげんよう、さようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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