ミラーマン 院内銀山を行く 西三番共葬墓地 山中友子墓
2015-07-23
山中友子の墓について、ご案内していますが、先回に引き続き、
茶谷十六著 院内銀山の日々 『門屋養安日記』の世界から、ご案内いたします。
友子 2
盛大に取り立て式の宴
先回の続きになります。
嘉永元年(1848)の日記には、次のようにある。
「十月一日、藤松親二にて、大工・掘子取り立てこれあり。太鼓、夜中まで」
金名子の村山藤松の家で、取り立て式が執り行われ、宴会の太鼓の音が夜中まで聞こえていたと云うのだ。その賑わいぶりが目に浮かぶようだ。
養安自身、招待されて取り立て式に列席することもあった。
「天保十(1839)年二月二十七日m辰五郎方にて、飯番より大工長八弟分に貰い請け候。祝儀使い貰い候間、嫁と両人、罷り越し候」
金名子岩見辰五郎方で、大工の長八を弟分に貰い受けた。その祝儀の宴の案内をもらったので夫婦同伴で列席したというのだ。辰五郎は、養安の妻さつにつながる近しい親類だ。同伴で出かけたのは、そのためであろう。
「弘化三年(1846)六月二十七日、八兵衛親二より、長次と申す者、寛蔵弟分に貰い請け、今日取り寄せ候間、知らせながら、晩刻酒使いに、母罷り越し申し候」
金名子の伊勢八兵衛から、長次という者を、金名子の最上寛蔵が弟分として貰い受け、今日引き取ったので、夜祝宴をするからとの案内に母親がやってきた。
この二例は、取り立て式というよりは、鉱夫の移籍の祝いという方が妥当かもしれない。
天保九年(1838)の日記に、興味深いが、不可解な記述がある。
「十二月六日、藤松親二へ、病用にて罷り越し候所、飯番健蔵取り立て候樽開きにて、民蔵母・長助妻・善左衛門妻・亀松妻使いの所へ罷り越し、大々馳走に預り候。健蔵方へ、祝儀酒二升の代一貫二百文、遣し申し候」
往診の為に立ち寄った金名子の村山藤松の家で、養安は、飯番健蔵の取り立ての樽開きに出くわした。大々御馳走に預かったので、後刻、健蔵方へ祝儀の酒二升の代一貫二百文を届けたというのだ。案内を受けて参席していたのは、いずれも金名子の女房たちである。
友子制度の中で、女たちは、どんな役割を果たしていたのだろうか。
今回の友子2については、終了致します。
次回は、友子3をご案内いたします。
それでは、終了にあったて、
友子の墓をご案内いたします。

墓の正面にはこのように書かれています。

明治29年4月19日卒と書かれています。


左面に子分の名前が幾つも彫られています。
それでは、ごきげんようさようなら
茶谷十六著 院内銀山の日々 『門屋養安日記』の世界から、ご案内いたします。
友子 2
盛大に取り立て式の宴
先回の続きになります。
嘉永元年(1848)の日記には、次のようにある。
「十月一日、藤松親二にて、大工・掘子取り立てこれあり。太鼓、夜中まで」
金名子の村山藤松の家で、取り立て式が執り行われ、宴会の太鼓の音が夜中まで聞こえていたと云うのだ。その賑わいぶりが目に浮かぶようだ。
養安自身、招待されて取り立て式に列席することもあった。
「天保十(1839)年二月二十七日m辰五郎方にて、飯番より大工長八弟分に貰い請け候。祝儀使い貰い候間、嫁と両人、罷り越し候」
金名子岩見辰五郎方で、大工の長八を弟分に貰い受けた。その祝儀の宴の案内をもらったので夫婦同伴で列席したというのだ。辰五郎は、養安の妻さつにつながる近しい親類だ。同伴で出かけたのは、そのためであろう。
「弘化三年(1846)六月二十七日、八兵衛親二より、長次と申す者、寛蔵弟分に貰い請け、今日取り寄せ候間、知らせながら、晩刻酒使いに、母罷り越し申し候」
金名子の伊勢八兵衛から、長次という者を、金名子の最上寛蔵が弟分として貰い受け、今日引き取ったので、夜祝宴をするからとの案内に母親がやってきた。
この二例は、取り立て式というよりは、鉱夫の移籍の祝いという方が妥当かもしれない。
天保九年(1838)の日記に、興味深いが、不可解な記述がある。
「十二月六日、藤松親二へ、病用にて罷り越し候所、飯番健蔵取り立て候樽開きにて、民蔵母・長助妻・善左衛門妻・亀松妻使いの所へ罷り越し、大々馳走に預り候。健蔵方へ、祝儀酒二升の代一貫二百文、遣し申し候」
往診の為に立ち寄った金名子の村山藤松の家で、養安は、飯番健蔵の取り立ての樽開きに出くわした。大々御馳走に預かったので、後刻、健蔵方へ祝儀の酒二升の代一貫二百文を届けたというのだ。案内を受けて参席していたのは、いずれも金名子の女房たちである。
友子制度の中で、女たちは、どんな役割を果たしていたのだろうか。
今回の友子2については、終了致します。
次回は、友子3をご案内いたします。
それでは、終了にあったて、
友子の墓をご案内いたします。

墓の正面にはこのように書かれています。

明治29年4月19日卒と書かれています。


左面に子分の名前が幾つも彫られています。
それでは、ごきげんようさようなら