湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 主礼坂編 坂崎太吉顕彰碑

2015-08-22

先回、坂崎太吉の顕彰碑について、
漢文をご案内いたしました。

今回は、漢文の訳をご案内いたします。

「坂崎太吉顕彰碑」・・この碑文は、
太吉は、ドイツ人技師来山とともに開削が始められた山市大竪坑完成の功労者で、設立者は当時銀山経営の中核的な人物達であり、碑文は漢文体で、当時の銀山人の文化水準の高さをうかがわせるものである。坂崎家の墓は西三番共葬墓地に四基あるが、太吉没月日が顕彰碑と異なっている。(新暦であろう)・・・(会誌十八号 院内銀山墓碑考 改訂版より)


坂崎太吉の碑
碑正面の上段に向って右より左へ「坂崎氏之誌」
その下に漢文体で一行二十七字、十四行、但し十四行目は十九字。


訳文(少し間違いもあるかも知れませんが)
(元 ジオパーク推進室の川邊氏の訳)


 名を太吉という。姓はそのまま坂崎。天保十二年二月十日に、北
 田郡にある市之□鉱山で生まれる。父は廣治といい、太吉はその
 長子だった。安政五年、雄勝郡院内銀山に転居し、坑夫として働
 いた。それ以来、朝から晩まで勤勉に働き、同僚のなかでも、群
 を抜いて成果を挙げた。明治七年、金名工職に就きながら、間掘
 りの仕事も兼任した。明治十一年、政府は事業拡張のため、新た
 に西洋人の何某氏に命じて、大坑内の再開発を行わせた。大竪坑
 の採掘の計画をはじめた。その当時、太吉は熟練した技術を持っ
 いたので、その計画に参加することを命じられた。それ以来、ま
 すます事業に力を入れて事業に取り組み、あっという間に月日が
流れるほど、休みなく働いた。政府の官僚は、太吉の功績を賞し
金を与えた。明治十八年、古河氏が山の主となり、さらに請負掘
を行い、間掘りを兼ねて、数百人の従業員をその作業にあたらせ
た。当時、坑の新しい課長・牧相信がこれを行ったが、着任した
節、竪坑を再開発することが出来なかった。そこで、再び、太吉
に任せられた。太吉は、もっとも心身ともに充実した形で、事業
打ち込んだ。明治十九年三月、その工事が終わったときに、古河
氏は太吉に金若干を与えた。その事業は、竣功だったという。も
とより計画を立てたのは理事者だったとはいえ、太吉にはそれを
こなす実力があったのだと言った。明治十五年、請負人総代に抜
擢された。これは受け人たちが、もっとも太吉の人となりを信用
しているからであった。篤実温厚で、忍耐強く、剛毅で、勤業だ
った。もっとも華美な無駄遣いを嫌い、常に信義をもって自分を
戒めた。そんな太吉も、明治十八年十月、病に倒れ、総代を辞し
た。十九年十月十七日、病のために亡くなり、西三番共葬墓地に
葬られた。有志が、お互いに話し合って碑を建て、主鈴坂そばに
、永く設置することを認められた。

追加・・坂崎太吉の墓が西三番共葬墓地にあります。
坂嵜太吉墓碑銘文(共葬墓地)
  (右面) 釈太吉天保十一年二月十日生於
       北秋田郡一之又鉱山父称広治安
       政五年徒院内銀山明治十九年十
       一月十二日卒年四十六
             長男坂崎蕪吉建之


主礼坂2
坂崎氏2
坂崎氏

それでは、今回の坂崎太吉 顕彰碑については、終了します。
ごきげんよう、さyぷなら。
プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
07 | 2015/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
湯沢市のお天気時計
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
Yahoo!ニュース
RSSリンクの表示
QRコード
QR
都道府県別アクセス数
過去1週間の状況です

ジオターゲティング