湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 主礼坂編 銀山『

2015-08-27

今回は、主礼坂にある石碑の中かで

『當山開闢』碑  について、ご案内いたします

主礼坂1

主礼坂の中の、一番奥にある石碑です。
IMG_1249.jpg
IMG_1303.jpg

『當山開闢』と彫られています

その下には
  村山宗□
  渡部勝□
  森治郎□
  石山傳□
と4人の名前が彫られていましたが、
下の字がなくなってしまいました。 

 この4人が、院内銀山記に書かれている、院内銀山を発見した人達です。
ただし、この説は有力ですが、あくまでも伝説の域をでません。


それでは、其の幾つかの節について、案内します。

院内銀山に関して 渡部 和男先生の話
 銀山発見に関して、
今までの通説では、
1 慶長元年(1596年)薄井村七郎左衛門説 当地方の古くからの伝承(明治30年「地学雑誌」97号)
2 慶応11年(1606年)村山宋兵衛、渡辺勝左衛門、林治郎左衛門、石山傳 助の4人説(院内銀山記より)
ところが、渡部和男先生の話では、この二つの説には、疑問なことがあると。
それは、
1、は古くからの伝承で、文書がない。
2、は銀山記に、慶長5年(1600年)の関ヶ原の落ち武者が多数銀山に来たとの記事ある。
それは当時院内銀山が知られており、発見もそれ以前であったと思われる。
渡部和男先生は、
戦国期開発説(銀山発見が50年も前に遡る)が有力と考えている。
戦国期、山形領主最上氏と秋田南部領主小野寺氏との間に数次の抗争があったが、最上の侵入は雄物川の砂金、院内銀山、川原毛の硫黄(火薬の原料)の奪取とする説がある。(元秋田経法大学長長井上隆明氏)
『十六世紀初中期から十七世紀前期に至る約一世紀間は、日本における貴金属生産史上の変革期であり、明治以前にあっては圧倒的な最盛期である。金銀山は戦国大名の熱心な領国の資源開発の方針のもとに開発が進められた。銀は輸出されたが、金は逆に輸入された。』(小葉田敦(おばたあつし)『日本鉱山史の研究』)このような背景のもとに、院内銀山も開発されたであろう。
そのほか
秋田藩慶長八年開坑説『院内銀山開坑は慶長八年に在り』(大正版【秋田県史】巻三「金山篇」)
記事は他の秋田県の歴史書にも引用されるが、いずれも根拠を示さない。慶長七年(1602年)藩主佐竹氏の秋田入部時は、院内銀山は開発されており、佐竹氏は大掛かりな開発に着手したものであろう。


このように、院内銀山がいつ発見されて、
いつから開発されたのかは、
今でも確定し節はありません。


次回は、
それでも、一番有名な説である、
村山宋兵衛らの発見節を詳しくご案内いたします。

ごきげんよう、さようなら。
プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
07 | 2015/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
湯沢市のお天気時計
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
Yahoo!ニュース
RSSリンクの表示
QRコード
QR
都道府県別アクセス数
過去1週間の状況です

ジオターゲティング