湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 金山(かなやま)神社編

2015-09-11

今回から、金山(かなやま)神社について、ご案内いたします。
金山神社は現在の院内銀山においては、唯一の建物といえます。
その金山神社について、何回かに分けてご案内いたします。


銀山の図
この写真にあるように、院内銀山地区のちょうど真ん中くらいに位置しています。
今まで、入口から十分一番所跡や異人館跡を見、
その次に白銀小学校跡を過ぎ、、
西三番共葬墓地では長いこと、いろいろなお墓のご案内をしてきました。
そして、先回まで、主礼坂をご案内し、いよいよ金山神社にやってきました。

院内銀山町案内絵図
この絵図の一部を拡大すると
IMG_0270.jpg
ここに山神堂と書かれています。

このように、江戸時代は、金山神社とは言わず、
山神堂とか山神宮・山神様などと言われていた。


この様子を記した本の記述があるのでご案内します。

山神宮(院内銀山記  渡部和男著)
 
『政景日記』では山神宮の名称は山神・山神之社で、「天保年代絵図」には山神堂、年代不明の幕末絵図(『千秋文庫』・『萩氏』所収)には山神社とあり、『養安日記』は御堂・山神様の名称が多いが、嘉永元年(1848)『山神宮』の名が現れ、十二代藩主佐竹義堯直筆の掛け軸『山神宮』があるので、山神宮は藩の正式名称であった。
 現呼称の金山(かなやま)神社となったのは明治4年(1871)であるが、次の時代的背景がある。江戸期、秋田藩は八百余村を七二郷にまとめ、雄勝郡南部一四箇村(現湯沢市雄勝・須川地区)は横堀郷となったが、院内銀山は横堀郷に属さず別格であった。
 明治新政府は神仏習合に終止符を打つため、明治元年『神仏判然例』『神仏分離令』に基づき、全国の神社を国家管理とし、四年には太政官布告・郷社定則によって社格はさらに、府県社・郷社・村社・無格社に分けられた。そして院内の愛宕神社を横堀郷の郷社としたが、山神宮もこの年郷社となり金山神社と改称した。神社に明治7年奉納の平田篤胤養嗣子銕胤筆『郷社金山神社』がある。

金山神社 大正
大正時代の金山神社の写真です。

今回は、ここまでんにしておきます。
それでは、ごきげんようさようなら
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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