ミラーマン 院内銀山を行く 金山神社編 昔と今の様子
2015-10-26
今回は、金山神社の昔と今の様子を比較します。
かなり荒れている様子が見えます。
大正・昭和から比べると、石灯籠などかなり荒れてきています。
その前に金山神社のおさらいをします。
金山神社の昔と今
○金山神社は、院内銀銀山発見当初は小さな山神宮と呼ばれていた。
○山神宮の奥殿は安永7年(1778)に造られる。
○山神宮の大造営は文政13年(1830)
○金山神社と呼ばれるのは、明治4年(1871)である。
○銀山祭りは、当初は毎年6月12日に行っていた。(現在は9月21日)
○金山神社には、幕末に久保田の殿様から奉納されたお宝がある。
○金山神社の境内には、江戸時代から長床という集会所があり、明治7年には長床に白銀小学校が出来る。(明治28年に西三番に小学校が移る)
○境内には、本殿の他に、天神堂・稲荷堂があったが、現在は稲荷堂なし。
○境内では、いろいろな余興(相撲や芝居等)が行われた。(養安日記)
○今は、金山神社は訪れる人も少なく、境内にある石灯籠や石碑等荒れ果てている。
これからは、写真による比較です。








写真が縦になっているのがあり、見ずらいですが、
今回は、これで終了します。
ごきげんよう、さようなら。
かなり荒れている様子が見えます。
大正・昭和から比べると、石灯籠などかなり荒れてきています。
その前に金山神社のおさらいをします。
金山神社の昔と今
○金山神社は、院内銀銀山発見当初は小さな山神宮と呼ばれていた。
○山神宮の奥殿は安永7年(1778)に造られる。
○山神宮の大造営は文政13年(1830)
○金山神社と呼ばれるのは、明治4年(1871)である。
○銀山祭りは、当初は毎年6月12日に行っていた。(現在は9月21日)
○金山神社には、幕末に久保田の殿様から奉納されたお宝がある。
○金山神社の境内には、江戸時代から長床という集会所があり、明治7年には長床に白銀小学校が出来る。(明治28年に西三番に小学校が移る)
○境内には、本殿の他に、天神堂・稲荷堂があったが、現在は稲荷堂なし。
○境内では、いろいろな余興(相撲や芝居等)が行われた。(養安日記)
○今は、金山神社は訪れる人も少なく、境内にある石灯籠や石碑等荒れ果てている。
これからは、写真による比較です。








写真が縦になっているのがあり、見ずらいですが、
今回は、これで終了します。
ごきげんよう、さようなら。