湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 正楽寺編

2015-11-10

今回は、金山神社から少し奥に入った右側のところにある、
正楽寺跡について、ご案内いたします。

院内銀山が発見されてから、日本国中より多くの人たちが
やってきました。渡部和男先生によると
そのころが院内銀山に一番多くの人がいたと言っていました。
院内銀山記には、当時の様子を
『山小屋千軒、下町千軒』と言われて推定で15000人も住んでいた。
そのため、11のお寺が1出来ました。
その中で一番最初に出来て、最後まで残っていたのが『正楽寺』です。


正楽寺
一向宗正楽寺は昭和20年代まで残っていた銀山最後の寺院で、村山宗兵衛が建てと言われている。(銀山に在った11ヵ寺の中で一番古い寺である。)最初のころは北相之山付近にあったが、幕末期絵図では、山神宮上手、川を挟んで後ろの位置と向かい合っている。寺の裏には花畑があり、杉林の台地となっている。矢場があって詰合が行ったりしており、また花火を上げる場所でもあった。花畑は遊郭の場所といわれた。明治期には花畑奥台地に第二山市竪坑が掘られた。現在も跡が残っているが、藪の中で立ち入り禁止である。銀山の図
図で見ると金山神社の右前に正楽寺はあります。IMG_9344.jpg
江戸末期の絵図面に二番目の橋の右奥に階段があり、その上に正楽寺がえががれています

お墓について、
(お墓を調べた渡部和男先生が書かれたものをご案内いたします)

正楽寺にあるお墓は、院内銀山の中でも、上役の人達のものが多い。
報恩寺本堂前・脇(この寺は永島氏が昭和になって建てた寺で、今はない)
堀松藤助・伊勢七蔵・最上氏(文右衛門ほか)・武藤氏・荒川氏(俳句墓碑・・なまなかに秋ぞ淋しき柳かな・・素江 「釈信恵分陀利華」 万延二辛酉正月二十六日行年三十二歳荒川儀助)、住職顕彰碑(倒壊)
本堂裏山中腹
福島晩郎(明治新政府支配時代の最高責任者)・門屋盛信(門屋養安の孫)・山崎磯右衛門・諸橋奥左衛門
本堂左手山道沿い
湊順蔵・武藤三治・佐々木氏・渡辺氏・和島氏・根田氏・山根氏(但馬国出生)根下氏、松岡氏、高橋氏
山道上
黒坂氏・中川氏(明治39年1月4日坑内火災犠牲者)


今回は、この辺で終わらせていただきます。
ごきげんよう、さようなら



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