湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 御台所編 

2015-11-25

今回は、院内銀山のほぼ中間にあった
「御台所」(おだいどころ)について、ご案内いたします。


場所について、院内銀山のパンフレットから
2015_09110007.jpg
金山神社の上に御台所跡と書かれています。
江戸時代の絵図では、

院内銀山町案内絵図
絵図の真中上の山の上に描かれている。

渡部和男著 「院内銀山史研究」に詳しく書かれているので、
その内容をご案内いたします。


幕末期の支配形態  (院内銀山史研究  渡部和男著より)

 院内銀山は初期の藩直山から享保10年(1725)初めて請山となり、その後約百年間直山・請山を繰り返し、経営がやや上向きになり始めた文化14年(1817)再び直山となり明治維新まで続いた。この直山時代の経営方式は初期とは大分変化がある。先ず大きなことは大頭(山奉行)・山師がなくなったことである。
 藩派遣の銀山監督者は、藩勘定奉行の下にある銅山奉行配下の「銅山方吟味役」(詰合・つめあい)で、採銀業務を司り、その外に金銀吹分業務監督の金方(きんかた)詰合がいた。銅山方は二名のこともあった。『御詰合大井(隼人)様・小貫(左司馬)様・介川(頼母)様』(『養安日記』天保10・3・1)の大井・小貫は銅山方、介川は金方である。銅山方詰合の執務所は「役屋」、金方詰合のそれは「金方役処」で「御台所」に隣あっていた。(『天保年代絵図』)
 初期は御台所とは呼ばず「御役所」で(『宝永四年絵図』)山奉行の執務所であったようだ。明和6年(1769)作成の「院内銀山御改正日記」には御台所の名が出、人員について次の記録がある。『小遣壱人、中間弐人、夜番壱人、表裏門番弐人』(明和期は銀山最初の衰退の最低辺期であった。)
 幕末期の御台所は儀式・行事・寄り合い等の会場が主ではなかったかと思われる。『養安日記』にも御台所での祝い・酒宴などの記事がある。『小貫家文書』(420号)によれば、御台所の規模は、最大長二○間・最大幅一○間、一部二階の大きなものである。(『会誌』20号。萩慎一郎「院内銀山役所建物図(二)」)それには、広間・御書院・御詰合座敷・座敷等のほかに、「本番」「銀払」がある。これらは『養安日記』によれば、前者は鉱山事務の総務担当、後者は金銭物品支給事務担当の役所であった。「金一両一朱銀払より中持借用大工え相渡候」(天保6・11・8)、なお「本番」の部屋には「御祝儀之節支配人・重手代・手代迄入込処」、「勝手」の部屋には「御祝儀の節手伝役・小使・給仕人入込并膳配之処」と付け紙がある。このほか「山方役」という坑夫監督役、「外方」という坑外業務担当も役所に付随していた。


今回は、この辺で終了します。
次回も、御台所について、ご案内いたします。
ごきげんよう、さようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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