湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 御台所編 

2015-12-10

『御台所』編のパート4です。
今回は、御台所で行われていた幕末の院内銀山における
”改革”とそれ以後の有名な”天保の盛り山”頃の立役者たちのことを
少し触れたいと思います。



(会誌発行二十周年特別号 院内銀山(第二十一号) 院内銀山史跡保存顕彰会より)

幕末の藩政改革と院内銀山 (「会誌」十八号より)
(院内銀山の社会と文化「門屋養安日記の世界」 民俗芸術研究所 茶谷 十六)

院内銀山に、天保四年の大増産をもたらし、以後十数年間の盛り山を継続させたのは、幕末秋田の藩政改革であり、その中心となったのが金易右衛門であった。
文化四年(1807)八月、勘定奉行兼銅山奉行に任命された易右衛門は、藩財政建直しのための殖産興業政策の中心として、院内銀山再生の事業を位置付け、さまざまの施策を積極的に推し進めた。
(1)専門経営・技術者群の移入
(2)新鉱脈の探索と新樋道(水抜き用)の整備
(3)資金の調達
(4)物資の調達・供給
(5)幕府の買上げ価格の増価
(6)法制の整備
(7)褒賞と扶持の下賜
金易右衛門の指導のもとで、国安又左衛門・近藤瀬兵衛・江間郡兵衛等「改革派」と呼ばれる武士たちがこの事業に参画する。彼らはいずれも有能な経済実務家たちであり、易右衛門とともに院内銀山再生のためのこれらの施策を強力に推し進める。
藩の殖産興業政策のもとで、勘定奉行・銅山奉行や銅山吟味役等の藩役人たちの指揮・監督に従いながら、銀山経営の現場で営々と努力をつづけ、院内銀山再生の立役者となったのは、手代・金名子たちであった。
山崎権六・工藤紀太郎・平野卯兵衛・田口喜七・杉田久吉等はいずれも阿仁銅山・大葛金山等の経営に従事して高い経営手腕と技術水準を身につけた人々であり、文化年間以後、藩の命令によって大工・掘子などの技術者集団をともなって院内銀山に移住してきた。
それぞれに専門的な知識と技術を供え、担当した職務を精力的に執行したこれらの有能な経営スタッフたちの血の滲むような努力の積み重ねが、衰微していた銀山を再生させ、未曽有の隆盛を可能にしたのである。
文化十四年(1817)院内銀山が藩直営の直山に転換されたのはそうした施策の一環として行われたものであり、銀山が隆盛に向うための決定的な転機となった。
金易右衛門を中心とする改革派の武士たちと、山崎権六・工藤紀太郎・平野卯兵衛等に代表される有能でエネルギッシュな民間経営者たちが、文化十四年の直山以来十数年間にわたって蓄積してきた銀山再生のための努力が成果となってあらわれた。それが「天保の盛り山」だったのである。
御台所写真
この写真は、明治初期のものであるが、真ん中の大きな建物が
江戸時代の『御台所』 
写真の時には、明治新政府による『工部省鉱山寮院内分局』となりました。

今回は、ここまでにいたします。
ごきげんよう、さようなら。

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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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