湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 御幸坑編

2016-01-24

先回、明治天皇の東北巡幸に関して、その前段として
明治天皇六大巡幸についてご案内いたしました。
その中で東北巡幸がなぜ2回も行われたのかそのことについて
今回は、ご案内いたします。

《風の向くまま薫るまま、その日その時、感じたままに》というブログの内容を
参考にミラーマンが思っていることを書いてみました。


明治天皇は先回もご案内したように
明治9年と明治14年の二度にわたって東北巡幸をしております。
他の地域は一回なのになぜか、
巡幸の目的は先回の中でも触れていましたが、
民心の掌握と産業奨励であったと思います。
明治天皇は民衆の生活の様子を良く御覧になられ、
開拓地や新たな産業を起した所に赴かれ、
奨励金を与え、人々を励ましたということです。
明治新政府にとって富国強兵を推し進めるためにも
各地の産業を奨励することが急務だった。
そのために、明治天皇の巡幸は効果的だったと思います。

東北は戊辰戦争では、一番激しい戦闘が繰り広げられた地で、
多くの人々が亡くなりました。
そのため、新政府に対する反感がとても強かったと思います。
明治10年には、西南戦争が起こり何とか政府軍が勝利したが
同じような事が東北でも起こらないようにするためにも
二度の東北巡幸が行われたと思います。
巡幸に随行したメンバーを見ると、
いかに東北を重視していたかよくわかります。
皇族の二品・北白川宮能久親王と左大臣有栖川宮織仁親王。
右大臣・岩倉具視、内閣顧問・木戸孝允、内務卿・大久保利通
参議・大隈重信その他総勢百四十八名というすごさでした。
新政府の主要閣僚に、東北の実情をよく知ってもらい
どうすれば東北に産業がおこり、東北が良くなるかを
考えてもらうことだった思います。
東北の民衆の心を掌握し、一つにまとめていくのは
天皇の力しかなかったのではないかと思います。
当時は、まだ、鉄道も走っておらず
馬車や駕籠に乗っての巡幸はとても大変だったと
思います。
明治天皇はそんな中でも大変意欲的に御巡幸を
進められた事はその後の日本の活力に繋がったのではないかと思われます。

それでは今回は、これで終了いたします。


ごきげんよう、さようなら。
プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
12 | 2016/01 | 02
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
湯沢市のお天気時計
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
Yahoo!ニュース
RSSリンクの表示
QRコード
QR
都道府県別アクセス数
過去1週間の状況です

ジオターゲティング