湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 御幸坑編

2016-02-03

今回も先回に引き続き
明治天皇の東北巡幸の時
院内銀山に行幸された時のお話をご案内いたします。
院内において、いろいろとエピソードが書かれていますので
楽しみにしてください。


(「会誌」十三号より)
明治天皇御臨幸

 明治十年ころから、明治天皇が、北海道・東北へ御巡幸遊ばれることとなり、
通過される各所ではその準備で大わらわでした。
 院内村でも、宿泊をおおせつかった家では、新築に取りかかったり、
旧道の館山下の道路を廃止して新たに小沢地区に新道を作ったり、
常盤橋・愛宕橋の架橋工事や、雄勝峠の道路を御馬車の通りやすい道にするなど、
当時としては、画期的な道路工事を行いました。
 明治天皇とその供奉の一行は、明治十四年(1881)九月二十日に湯沢に一泊され、
翌二十一日に院内に御臨幸されました。
 この日小学校の子供達は、皆んな日の丸の小旗をもって千福寺部落までお出迎えに行き、
一般の人達と共に整列して、陛下のご一行を拝みました。
 陛下は御馬車に召され、前後は騎馬の者達で護衛されて、
宮様はじめ政府高官たち美々しく後につづき
総勢四二五名程のご一行でしたから物々しい行列だったと言うことです。
 新しく建築された下院内村の斎藤貞治氏宅の行在所でご昼食を召された後、
改めてお馬車で院内銀山に向かわれました。
その道筋には各部落の人達がむしろに座って、頭を低く垂れ行列を迎えました。
二階から覗き見することなど禁じられていましたので、殆どの村人達は陛下の御顔を拝していなかったとのことです。
 この行幸の折り、随員の大隈参議は人力車で銀山へお供しました。
当時は乗る人もこれを引く人も不馴れであったのでしょう、
上院内の鈴木万五郎さん宅の前の坂道で、車から落ちて行列を乱すというハプニングがあったそうです。
 また、荒町から銀山まで陛下のお乗りになられた肩越(四人で担ぐお駕籠)を担いだ力自慢の源兵衛松という者、
あまり恐れおおいので堅くなり、その上陛下が偉丈夫であらせられたので、とても重く感じて疲れてしまい、
数日仕事を休んだという本人の話も伝わっています。
 当時の院内銀山は、新政府の工部省管轄でしたので、
初代主任福島晩郎がご先導して陛下に銀山の状況をご説明申し上げました。
 陛下には、特にご関心深くあらせられ、予定になかった坑内へお入りになる旨仰せ出されました。
 あまりにも急な思召しなので、ドイツ人技師の急造したビスケットの空き缶を利用した灯火を持って、
牧相信採鉱主任のご先導で高貴の御身をもって、五番坑へ数十歩の玉歩を運ばれました。
これは誠に前代未聞のことでした。
 陛下の入坑なされました五番坑は後に「御幸坑」と名付けられ、
この日の九月二十一日は全国の鉱山記念日に制定されました。

  明治一四年 明治天皇巡幸行列人数
○天皇と身近の侍従・侍女は斎藤貞治氏宅宿泊(人数不明)
○従者一行   四二二名(五三軒) 馬七三頭
○秋田県令等県関係者  四二名(五軒)
○警察関係      一四四名(二○軒)馬八頭
○新聞記者      一○六名(二○軒)
     総計    七一四名(九八軒)馬八一頭

IMG_1654.jpg
この絵画のような行列で院内に入ってこられたと思います。

明治天皇1

IMG_1655.jpg
この写真は、明治天皇が映っているものでは、一番有名なものと思われます。

IMG_1656.jpg
この馬車が当時使われていたものだそうです。

今回は、これで終了いたします。
ごきげんようさようなら。







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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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