ミラーマン 院内銀山を行く 御幸坑編
2016-02-28
今回は、明治天皇御臨幸百年記念行事のご案内の関連として
当時の地域の人達の話が会誌に載っているのでそれをご案内いたします。
宮様とおじいさまと院内銀山 斎藤誠一
私は恐れ多いと思いながらも、こんな表題を付けるほど百年祭のときの宮様のご挨拶や御温顔に接して、何か云うにいわれぬ親しさを覚え、おじいさまに当たられる明治天皇さまと、二世代にわたってこの「辺ぴ」な山中にお出になられ身近に宮さま御夫婦にお目にかかれた事は、本当に一代の光栄であった。
特に御挨拶には音吐朗々としてとても七十歳を越えられたお方とは思われず、且つ前代未聞のおじいさまのお入りになられたこの坑道の前で、院内銀山の歴史をお話下されたのには一驚を喫した。私は宮様御夫婦のすぐお近くに居て、祭事中元気に御奉仕なされたお姿を拝して、何と仕合せな「院内銀山」だろうと、涙が流れて仕方がなかった。
明治十四年の明治天皇御巡幸に私の父は(明治六年生まれ)丁度小学校二年生で祖父の買ってくれた、その頃珍しかった洋服を着せられて、生徒一同桂川橋のたもとまで日の丸の小旗をもってお迎えに行ったが「頭が高い」と云われて、天子さまのお顔を見る事が出来なかったとよく話をしてくれた。
その頃とこの度の壱百年祭に宮様をお迎えして身近に接する事の出来たのは、時代のうつり変わりとは云え、表題のような言葉が私の心の底にうかぶのを禁じ得なかった。
高松宮両殿下をお迎えして 大久保 道夫
昭和五十五年九月二十一日の院内は道路は清掃打水をなし、各戸国旗を掲揚し爽涼の気一入濃い秋晴れの朝を迎えた。
この日は明治天皇御巡幸百年記念式典が行われ、それに高松宮両殿下が御臨幸遊ばさるる日であった。
両殿下は御予定通り九時四十分金山神社にお着きになり、ご参拝の後、踊り場で行われた院内銀山踊りをご覧になられたが、お気に召されたとみえ定刻を過ぎてもお立ちにならず去りがたいご様子であった。
お話になる御言葉使いにも少しも窮屈な感じを与えず、いささか固くなっていた明治生まれの私たちも気易く応対できたことは誠に印象的であった。(於 金山神社)
高松宮両殿下をご案内して 藤原 耕作
院内銀山百年祭執行委員長から、高松宮両殿下が金山神社御参拝の際、御先導役を引受けるようお話がありましたが、私にとって、このような機会を与えて頂きますことは大変な名誉であり、光栄これに過ぎるものなしといった心境になり、謹んでお受け申し上げた次第でした。
戦後三十五年も経た今日、宮様も各方面の方々に接しておられることでもありますし、余計な緊張はしないつもりでいましたが、宮様に自己紹介を兼ねご挨拶申し上げている写真を見ると、随分固くなっていたことが感じ取られました。
宮様からのご下問は、「ここの山は輪伐方式ですか」「伐期は何年ですか」「六十年位で天井板でもとれるようになりますか」「雪はどのくらい積りますか」等々。山林経営に関する専門のご質問が連発されました。
宮様は、大日本山林会の名誉会長をなされ、林業について深いご関心をお持ちの方と存じていましたし、こちらも林業についてのご質問ならと、自然と心の緊張も解け落ち着いた気分になりました。。
山男には、山のことからまず語りかけ、相手の心を解かしてやろうという宮様の配慮で有られたのかも、と今になって、そのご心情のゆかしさが身にしみます。
神社の境内に、雪で傾き胴割れをし杉の立木が一本あったのを、宮様が指さされ、「こうなってはもう回復は難しいでしょうね」と申された時は、全く一本とられた形。こんな見苦しいものを、何故事前に除去しておかなかったと悔やまれ汗顔の至りです。
宮様は、知事さん、町長さん、小生等に、「山林は国民生活にとって大変大事なものですから、有林については、しっかりお願いしますよ。国有林は赤字で困っておるが、民有林はそんなことのないようにね」と申されましたが、山林の果たす公益的機能をかみしめておお言葉であり、私とも山林経営者に当たる者にとって、心すべきこととつくづく感じた次第です。
妃殿下からは、
「金山神社の祭神は」「毎年お祭りをやっておられますか」「この社殿はいつ頃造られましたか」などと下問がありました。
また、両殿下とも境内で催された銀山踊りには大変ご興味を持たれた御様子で、熱心に御観覧され、妃殿下は、「踊り子の服装が二色に分かれているのはどうしてですか」「踊りの輪の中の和服の方はお師匠さんですね」。宮様は「鉱山が無くなったのだから銀山踊りではなく、林業踊りとされたらどうですかー」とジョークらしく申しておられました。
予定の時刻が過ぎたので、「そろそろお時間ですが」と申し上げましたところ、宮様は「もう少しいいでしょう」と容易にお立ちになりませんでした。
踊り子たちが一斉に日の丸の小旗を振って歓送申し上げた時には、両殿下ともご満悦のご様子で、何回カメラのシャッターを切って秋田美人達をお撮りになっておられました。
神社前でお車にお乗りになられます時に、両殿下から、「ご苦労様でした」とのお言葉を頂戴し、本当に恐縮してしまいました。
こうして無事ご案内の大役を果し得た感激は、一生涯通じて忘れ得ない思い出となるでしょう。



今回は、これで終了します。
ごきげんよう。さようなら。
当時の地域の人達の話が会誌に載っているのでそれをご案内いたします。
宮様とおじいさまと院内銀山 斎藤誠一
私は恐れ多いと思いながらも、こんな表題を付けるほど百年祭のときの宮様のご挨拶や御温顔に接して、何か云うにいわれぬ親しさを覚え、おじいさまに当たられる明治天皇さまと、二世代にわたってこの「辺ぴ」な山中にお出になられ身近に宮さま御夫婦にお目にかかれた事は、本当に一代の光栄であった。
特に御挨拶には音吐朗々としてとても七十歳を越えられたお方とは思われず、且つ前代未聞のおじいさまのお入りになられたこの坑道の前で、院内銀山の歴史をお話下されたのには一驚を喫した。私は宮様御夫婦のすぐお近くに居て、祭事中元気に御奉仕なされたお姿を拝して、何と仕合せな「院内銀山」だろうと、涙が流れて仕方がなかった。
明治十四年の明治天皇御巡幸に私の父は(明治六年生まれ)丁度小学校二年生で祖父の買ってくれた、その頃珍しかった洋服を着せられて、生徒一同桂川橋のたもとまで日の丸の小旗をもってお迎えに行ったが「頭が高い」と云われて、天子さまのお顔を見る事が出来なかったとよく話をしてくれた。
その頃とこの度の壱百年祭に宮様をお迎えして身近に接する事の出来たのは、時代のうつり変わりとは云え、表題のような言葉が私の心の底にうかぶのを禁じ得なかった。
高松宮両殿下をお迎えして 大久保 道夫
昭和五十五年九月二十一日の院内は道路は清掃打水をなし、各戸国旗を掲揚し爽涼の気一入濃い秋晴れの朝を迎えた。
この日は明治天皇御巡幸百年記念式典が行われ、それに高松宮両殿下が御臨幸遊ばさるる日であった。
両殿下は御予定通り九時四十分金山神社にお着きになり、ご参拝の後、踊り場で行われた院内銀山踊りをご覧になられたが、お気に召されたとみえ定刻を過ぎてもお立ちにならず去りがたいご様子であった。
お話になる御言葉使いにも少しも窮屈な感じを与えず、いささか固くなっていた明治生まれの私たちも気易く応対できたことは誠に印象的であった。(於 金山神社)
高松宮両殿下をご案内して 藤原 耕作
院内銀山百年祭執行委員長から、高松宮両殿下が金山神社御参拝の際、御先導役を引受けるようお話がありましたが、私にとって、このような機会を与えて頂きますことは大変な名誉であり、光栄これに過ぎるものなしといった心境になり、謹んでお受け申し上げた次第でした。
戦後三十五年も経た今日、宮様も各方面の方々に接しておられることでもありますし、余計な緊張はしないつもりでいましたが、宮様に自己紹介を兼ねご挨拶申し上げている写真を見ると、随分固くなっていたことが感じ取られました。
宮様からのご下問は、「ここの山は輪伐方式ですか」「伐期は何年ですか」「六十年位で天井板でもとれるようになりますか」「雪はどのくらい積りますか」等々。山林経営に関する専門のご質問が連発されました。
宮様は、大日本山林会の名誉会長をなされ、林業について深いご関心をお持ちの方と存じていましたし、こちらも林業についてのご質問ならと、自然と心の緊張も解け落ち着いた気分になりました。。
山男には、山のことからまず語りかけ、相手の心を解かしてやろうという宮様の配慮で有られたのかも、と今になって、そのご心情のゆかしさが身にしみます。
神社の境内に、雪で傾き胴割れをし杉の立木が一本あったのを、宮様が指さされ、「こうなってはもう回復は難しいでしょうね」と申された時は、全く一本とられた形。こんな見苦しいものを、何故事前に除去しておかなかったと悔やまれ汗顔の至りです。
宮様は、知事さん、町長さん、小生等に、「山林は国民生活にとって大変大事なものですから、有林については、しっかりお願いしますよ。国有林は赤字で困っておるが、民有林はそんなことのないようにね」と申されましたが、山林の果たす公益的機能をかみしめておお言葉であり、私とも山林経営者に当たる者にとって、心すべきこととつくづく感じた次第です。
妃殿下からは、
「金山神社の祭神は」「毎年お祭りをやっておられますか」「この社殿はいつ頃造られましたか」などと下問がありました。
また、両殿下とも境内で催された銀山踊りには大変ご興味を持たれた御様子で、熱心に御観覧され、妃殿下は、「踊り子の服装が二色に分かれているのはどうしてですか」「踊りの輪の中の和服の方はお師匠さんですね」。宮様は「鉱山が無くなったのだから銀山踊りではなく、林業踊りとされたらどうですかー」とジョークらしく申しておられました。
予定の時刻が過ぎたので、「そろそろお時間ですが」と申し上げましたところ、宮様は「もう少しいいでしょう」と容易にお立ちになりませんでした。
踊り子たちが一斉に日の丸の小旗を振って歓送申し上げた時には、両殿下ともご満悦のご様子で、何回カメラのシャッターを切って秋田美人達をお撮りになっておられました。
神社前でお車にお乗りになられます時に、両殿下から、「ご苦労様でした」とのお言葉を頂戴し、本当に恐縮してしまいました。
こうして無事ご案内の大役を果し得た感激は、一生涯通じて忘れ得ない思い出となるでしょう。



今回は、これで終了します。
ごきげんよう。さようなら。