湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 山市大竪坑編

2016-04-08

今回の山市大竪坑編は、先回の水抜き方法に続き
坑内通気についてご案内いたします。
院内銀山の様に深く掘って作業する鉱山では、新鮮な空気をいかに送り込むのかが課題であったが、江戸時代から明治の中ごろまでは、地上の空気を長い樋状の管から送り込んでいたそうです。その辺の様子を詳しくご案内いたします。


 ●坑内通気について

ここで当時の院内銀山の坑内設備について少し書いておきたい。
先ず坑内通気であるが、明治初年まではどこの鉱山でももっぱら自然通気で、特別の設備などはないに等しかった。その為坑夫が健康をそこねるのは当たりまえのこととされ、寿命が三十歳を超えれば珍しいとされて御祝をしたと伝えられている。通気装置としてよく使われたのは風管(風廻し樋または風上戸ともいう)で、明治中期頃でもなお各地の鉱山で用いられていた。これは木材または鉄板で作られた、一辺一尺(33㎝)の正方形または直径八寸(24㎝)、長さ六尺(198㎝)のパイプで、その連結部分には粘土を塗って空気のもれるのを防いだ。すなわち煙突のように、坑内外の通気を空気の自然還流によって行ったわけである。季節によって坑内外の温度が同じになって、十分な通気圧が得られないときは、唐箕というものを風管の上部に取り付けて、人力で回転して通気を促進したとある。いわば人力送風機である。
 送風機の動力として水車による水力を用いた第一号は足尾銅山で、明治二十年頃のことである。その後、動力に電力が使用されるようになり、院内銀山もその実施例として小坂、神岡、生野、日立の各鉱山とともにその名が見える。明治二十八年三月の日本鉱業会誌百二十一号および明治三十年一月の地学雑誌九十七巻の院内鉱山の機械設備の項に、発電機三十馬力一台とあるから、すでにその頃坑内動力の一部は電化されていたと思われる。当時の送風機は、阿仁、日立等の各鉱山と同じくルーツ式と呼ばれるものであった。なお鉱山電化の第一号とされるのも足尾銅山で、明治二十三年自家用の水力発電所が建設されるとともに、電気捲揚機が日本で初めて採用された。ちなみに院内銀山が水力発電所を建設したのは、足尾銅山に遅れること十年の明治三十三年である。銀山附近を流れる銀山川は、落差は十分取れるが水量が少なく、水力発電の適地が得られなかったので、銀山の東方約三里(12㎞)の樺山に役内川の水を引き込んで、発電所を建設した。出力340kwで、これを長倉変電所まで木柱送電線で送電し、そこで電圧を下げて鉱山の電気設備に給電した。この樺山発電所は、その後大正十年秋南水力電気株式会社に買収され、大正十三年には増田水力電気株式会社の手に移り、昭和年代に入って電力再編成の際に、統合されて現在の東北電力所有に至っている。樺山発電所操業当時の水車、発電機などの諸設備については、記録が残っていないので判然としないが、現在は有効落差27.3、水量毎秒1.8トンで、水車は横軸単輪流渦巻反動フランシス水車で、毎分回転数は600である。


会誌「院内銀山」八号より 明治最盛期における院内銀山の鉱山技術  秋田大学鉱山学部長 能登文敏 (会誌発行当時)

今回は、この辺で終了します。
ごきげんよう、さようなら。
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