湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 山市大竪坑編

2016-04-14

今回のご案内は、坑内の照明についていたします。
江戸時代から明治の中ごろまでは照明といっても粗末なもので院内銀山では主に竹が使われていました。(ちなみに佐渡金山では紙燭や釣等が使われていた。)詳しくはこれからご案内いたします。


●坑内照明について

 坑内照明には携帯灯と常備灯とがあるが、そのどちらにも使われたのが灯り竹である。直径4・5分、長さ二尺(66cm)余の篠竹を乾燥したもので、院内銀山では明治二十三年頃までこれが使われた。久保田藩銀山奉行大貫忠誨の絵図にもこれが記載されている。その後使われたのがカンテラで、明治晩年まで坑内唯一の携帯灯として使われた。これにはハルツ式とフランス式の二種類があり、前者はなす形で鉄板で作り、後者は円筒形で黄銅製である。どちらも菜種油一合入りの容器が標準で、灯芯には木綿糸を用いた。明治四十二年佐渡鉱山で発明されたアセチレン灯は、その後各鉱山で採用され、携帯灯として、当時画期的なものであった。すなわち燃料にはカーバイト(炭化石灰)が使われ、燃料費も安く、光力が強く、少々の風でも消えることなく、最も進歩したものであった。常備灯としては石油灯が用いられたが、電化されるに及んで100ボルトまたは200ボルト、10~16燭光の白熱電灯が使われ始めた。(昭和58年6月)
  会誌「院内銀山」第8号より  明治最盛期における院内銀山の鉱山技術  秋田大学鉱山学部長能登文敏(発行当時)
照明の様子1

照明の様子2

照明の様子3

●佐渡銀山における坑内の照明具
(佐渡銀山絵巻―絵巻が語る鉱山史―佐渡市新潟県教育委員会編より)
 坑内の照明具には紙燭(ししょく)(桧を薄く削り、やわらかになるまでもんで縄のようにして油を浸し、これを木に巻き付けて火を灯して用いた照明具)や釣り(丸い鉄皿に油を入れ、灯心をひたして火を灯して用いた照明具)を用いた。ところが、18世紀中頃成立の『佐渡相川志』には、「昔ハ紙燭屋廿余軒アリ、当時大工町字右衛門、味噌屋町久兵衛唯弐軒ノミナリ」と、かつて20余軒あった紙燭屋が当時2軒まで減少したことが記され、その需要低下を示唆する。鉱山技術書で確認すると、18世紀中ごろと推測される『佐州金銀山諸道具其外名附留帳』には坑内の道具として紙燭と釣が併記されるが、19世紀前半の『飛渡里安留記』には紙燭の記載は見られなくかり、釣のみが照明具として示される。このことは絵巻にも反映され、1753(宝暦3)年制作の図7には紙燭と釣が併記されるものの、19世紀初期頃制作の図8には釣のみが描かれる様になる。

佐渡照明1
これが図7で、紙燭と釣が両方使われている様子
佐渡照明2
図8は釣しか描かれていません。

本日の最後に4月10日(日)にミラーマンは院内銀山跡地に行ってきました。道路には雪は有りません(除雪していたので)が、他は日あたりの良い場所を除いて、多いところでは20cm位在りました。
主鈴坂迄行くと、何とすごいことになっていました。崖崩れが起きて大きな木が道路をふさいでいました。しかもその木が何と、福島晩郎の石碑の上に落ちたため、壊れてしまっていました。早いこと復旧して、修理してもらいたいものです。

坂1
手前に見える石碑は坂崎太吉の碑です
坂2
手前に見えるのが、當山開闢之碑です
坂3
木の下に見えるのが壊れてしまった福島晩郎の碑です。
福島
これが今までの石碑です。

長くなりましたが、これで本日は終了します。
ごきげんよう、さようなら。





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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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