ミラーマン 院内銀山を行く 早房坑編
2016-05-02
今回は、院内銀山の中の一番奥にある早房坑や不動滝付近の様子を数回に分けてご案内いたします。
まずは、早房坑迄の位置図を案内します。

この図の左上に早房坑や不動滝の表記があります。

それを拡大した図です。
普段は御幸坑より先は入ることはできません。
早房坑について御案内します。
《早房坑》
早房坑は大仙山大沢の不動滝そばにある坑道で、寛永年間(1624~1643)に開坑し、現存する坑道では一番古いものです。
岩盤には坑夫の腕を試した跡(タガネ跡)が残っています。
安永年間(1772~1781)、坑内掘削を休止するに当たり、『山の法』に従って『埋札』を埋め、鉄格子を張って採掘を終了したという記録が残っていると云われています。銀山の最初の坑道と言われる不動坑と地下で繋がっていると言われています。
院内銀山の銀鉱脈は早房坑のすぐ近くの不動滝付近で発見されたと言われていて、本鉱脈の外に数条の銀鉱脈が発見され、江戸時代に採掘されたと思われます。
早房坑周辺の地層は大仙山層(2000万年前~1600万年前)と呼ばれ、海底で噴出した安山岩とその凝灰岩からなり、極めて硬くち密な岩石です。
現在の早房坑口です。

中を覗くとこのようになっている。

トロッコの軌道が敷かれていた時の様子
今回はこれで終了します。
ごきげんよう、さようなら。
まずは、早房坑迄の位置図を案内します。

この図の左上に早房坑や不動滝の表記があります。

それを拡大した図です。
普段は御幸坑より先は入ることはできません。
早房坑について御案内します。
《早房坑》
早房坑は大仙山大沢の不動滝そばにある坑道で、寛永年間(1624~1643)に開坑し、現存する坑道では一番古いものです。
岩盤には坑夫の腕を試した跡(タガネ跡)が残っています。
安永年間(1772~1781)、坑内掘削を休止するに当たり、『山の法』に従って『埋札』を埋め、鉄格子を張って採掘を終了したという記録が残っていると云われています。銀山の最初の坑道と言われる不動坑と地下で繋がっていると言われています。
院内銀山の銀鉱脈は早房坑のすぐ近くの不動滝付近で発見されたと言われていて、本鉱脈の外に数条の銀鉱脈が発見され、江戸時代に採掘されたと思われます。
早房坑周辺の地層は大仙山層(2000万年前~1600万年前)と呼ばれ、海底で噴出した安山岩とその凝灰岩からなり、極めて硬くち密な岩石です。

現在の早房坑口です。

中を覗くとこのようになっている。

トロッコの軌道が敷かれていた時の様子
今回はこれで終了します。
ごきげんよう、さようなら。