湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 昭和の残鉱堀

2016-06-07

今回は、院内銀山で以前働いていた人たちが、「院内銀山異人館」に集まり、思い出話などをしながら楽しい時間を過ごしたそうです。その時に話された内容をご案内いたします。
 出席者は、川井武雄、奥山市之助、鈴木源一郎、藤谷菊雄、佐々木鉄雄、佐々木千代太郎の6人と、顕彰会から会誌の編集員が参加しました。


院内銀山における昭和の残鉱堀について 会誌「院内銀山」第22号より

《昭和5・6年頃から再開された残鉱堀事業》

 この頃の我が国は、不況、不景気の時代で、特に農村の疲弊はどん底の状況で、失業者も多く、旧院内町では、対策として、養蚕、畜産、苧麻(からむし)栽培などの副業を奨励し、尚失業対策として、道路工事等の救済事業などを実施した時代であった。
 このような時に、政府は、金の輸出対策を行ったため、金の価格が暴騰し、又金、銀の需要が高まり、鉱石一トン当り、銀は200~500g、金は2~5g程度の粗鉱でも、売鉱が出来、採算がとれるようになった。
 従って各所で廃坑になっていた金銀鉱山の復活、探鉱が広がった。院内銀山の坑外の捨石は、製錬技術の余り進歩していない時代のものなので、その中から選鉱して売鉱(足尾精錬所へ)するための残鉱堀事業が鉱区権者である古河合名会社(当時)から採掘権を譲り受けて行われた。
 不況の中で失業者も多く、特に昔、銀山で働いた人たちの中には、年中出稼ぎをするような状況の中で、この事業は、救済的な仕事として町内に活気をもたらした当時の想い出として語られた。


○当時の残鉱堀事業は
「玄々舎」
 昭和5年頃から金山神社付近から相の山までの権利を得て事業を行った。事業主が誰であったか判らないが、現場の職長は十分一の佐藤芳治さん、帳場は須川徳蔵さんで、従業員は三十人位、政治家の三木武吉氏もかかわり来町したとのこと。
「佐藤鉱業」
 昭和6年頃、大切坑から旧精錬所跡付近までの権利を得て、現在の立石林業事務所付近に現場事務所を設け事業を行った。
事業主は、佐藤謙三と云う人で、現場の総括責任者は、岩木宇一さんで、職長は長倉の小松与三郎さん、帳場は小沢の高橋孝太郎さんであったが、古河の直轄下になり、事務所勤務となったため、後任に中通りの佐藤寅一さんとなった。
 従業員は約30人余であった。当時の賃金は、特殊な技能者で一日60銭、一般労働者は、成人で50銭内外、婦人達は、35銭内外であった。
「若松敬三郎」
 昭和7年頃から長倉の山神社の上部に製錬所から排出されたカラミの選鉱に着手し、1年半位20人で事業を行った。
「川選鉱」
雄物川(銀山川から役内合流地点まで)に流出された鉱石を拾い集めて売鉱する事業で、三区間に権利を分けて行われた。荒町の佐野三蔵さん、町後の松井伊佑さん、馬場の酒樹清助さん、南沢の山田与治さん等が携わり、従業員は総勢60人位であったと思われる。
 その外南沢の石黒鉱山、笹子の大日向鉱山等の探鉱事業が行われ、町内の作業員が多く稼働し、院内町は鉱山ブーム的な様相で幾分活気を取り戻しつつあった。


今日は、この辺で終了します。
ごきげんよう、さようなら

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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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