湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2016-11-10

先回は、小野地区の墓地で、高橋正作についてご案内いたしました。
今回は、渡部和男著の院内銀山墓碑地図の中に書かれている、和田家についてご案内いたします。

 和田家については、院内銀山時代の岩見作左衛門についてご案内しないとならないのでまずこちらからお話しいたします


岩見作左衛門について  (院内銀山史 渡部和男著に岩見作左衛門の書いた箇所がある。その個所を案内いたします。)

岩見作左衛門について「養安日記」の中に『手回(親戚)作左衛門』の名で現れる金名子岩見作左衛門はさつ子(養安の妻)の同族で、養安より早く院内に移り、明治3年(1870)国民皆姓の際和田と改姓し、のち院内近くの小野村に移住した。『系統録』は出奔後を、「処々放浪して秋田藩雄勝郡院内銀山に行き、同地和田家に一先ず落ち着き、厄介になるうち媒酌する人ありて、和田家の女と結婚せり」と記すが、これは秀子の記憶違いで、岩見家とさつ子の関係を勘違いしたものと言える。
 和田家には先祖は岩見から来たとの口碑があるが、霊位(位牌)によれば、初代和田三左衛門は慶長期(1596^1614)に生国岩見と改姓したとある。『銀山記』(巻三)「関ヶ原以後来山した浪人者」に、「和田三右衛門、石見先方石田に組す。仙北六郷に来る」とあり、「右」・「左」は書き違いで、和田家の石見出身は事実と言える。のち、年代は不明であるが、院内から阿仁に移り、さらに再び院内銀山に移ったが、この時期は十二代目の時だろうと思われる。十二代目は作左衛門を称し文政元年(1818)没しているが、恐らく、文化・文政年代(1804^1829)、藩が阿仁銅山等から院内銀山に派遣した金名子の一人であろう。こののち四代続いて作左衛門を襲名し、養安院内移住時は二代目で、あるいは、養安は作左衛門を頼って院内に移ったとも考えられる。和田と改姓したのは旧姓に復帰したと言える。
                 この作左衛門の墓は何代目か?
これからお見せするお墓は、西三番共葬墓地の中にある岩見家のお墓です。
門屋家のお墓の近くにあります。

岩見作左衛門
これが岩見家のお墓です。
岩見作左衛門1
このほかにも岩見作左衛門と書かれたお墓があります。

明治になると岩見家は和田と改名し小野地区に移り住みます。

和田家墓
和田家の立派なお墓が小野地区墓地の入り口の近くにあります。
小野墓地6
和田家の霊碑です。最近建てられたものです。
ここに初代和田作左衛門と書かれています。
和田作左衛門
和田作左衛門の墓は、一番左側にございます。

今回はこの辺で終了いたします。
ごきげんよう、さようなら。






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