湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2016-11-22

先回に引き続き和田雙穂についてご案内いたします。

和田雙穂について、別に記述のある本を見ると(院内銀山史 渡部和男著より)
  
《平田国学と自由民権》

 明治維新の嵐と共に、院内銀山町には時代変革の風も流れ入って来た。鉱山は都市的様相を有していたから、古い習慣に囚われる事が少なく、自由な思考が可能な環境と言える。銀山の知識人たちが、時代変革の思想として関心を持ったのは、維新勤王派の精神的支柱であった平田篤胤(あつたね)の国学思想である。当時篤胤はすでに亡く、養嗣子銕胤(くろがね)が熟『気吹之舎(いぶきのしゃ)』を主宰していたが、銀山に於いてそれに入門する者が相次いだ。「平田篤胤没後門人帳」には、鈴木酉松・山本十五郎・桜田忠太・平野長三郎・門屋盛信・高橋直作・岩見源助(後の和田雙穂)・村田善左衛門・佐藤三右衛門・高橋牧之助・工藤幸直など15人の名が載っている。彼らは、銀山の中核的役人・金名子で、医師門屋盛信は養安の孫、高橋直作(1815^1890)は幕末期支配人、岩見源助は盛信と最も親しい友人、村田善左衛門と佐藤三右衛門は山神宮の正一位のため京都の神祇伯に行き、工藤幸直(少し前に工藤家の墓を案内した時、説明)は明治期銀山郵便局長を務めた。
 維新前後の平田国学傾倒の兆候は、門人帳人物の行動を『養安日記』に見る事ができる。
「下の源助久保田へ御祭り見に抜け参りいたし候。連れは重五郎(山本)・善左衛門(村田)他にも人数これ有り候由」(文久元年(1861・9・4))。門人帳のこの三人は気吹之舎を目指したのだろう。岩見源助は、門屋盛信と共に精神的先覚者であり、町会議員などの社会的活動も行っている。元治元年(1864)三月八日には、源助出奔、父作左衛門は城下まで迎えに行き取り押さえているが、これも抜け参りと無関係ではないと考える。
 自由民権運動家山本庄司(1857^1924能代市)は、明治13年県南巡回を行い、四月院内銀山を訪れ運動への参加を呼び掛けているが、盛信・雙穂・直作・村木寛治(幕末期支配人六郎兵衛孫)等10人が加入しており、県南三郡では最も多数である。直作の孫牧太は山本に強く私淑し、自由民権への決意を述べた書簡を送っている。「当地は人心頗る競い居る。追々一団結なるべし想像せり」(「巡回日記」四月一三日)
 平田国学と自由民権運動とは思想的には相容れない立場であるが、当時の銀山の精神的先覚者は、これらの思想を体制批判の指針として選んだものであろう。しかし、、残念ながらこれらの人間の、集団としての活動記録は見当たらな・い。
 平田国学の影響で神道に改宗した門人もいた。盛信は門屋家伝統の浄土宗から神道になり、祖父養安以下神式の墓を建てている。雙穂・直作も神道に改宗した。


これで和田雙穂については、終了いたします。
ごきげんよう、さようなら。
プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
10 | 2016/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
湯沢市のお天気時計
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
Yahoo!ニュース
RSSリンクの表示
QRコード
QR
都道府県別アクセス数
過去1週間の状況です

ジオターゲティング