湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2016-11-28

先回までは、小野墓地にある和田家のお墓についてご案内してきました。
今回は、やはり院内銀山に関連はしますが、鉱山関係者というよりは、
明治期の院内銀山においてキリスト教の普及に書かせない人物のお墓のご案内をいたします。
以前から、小野地区の墓地に調査に来ていましたが、その中で十字架が彫られたお墓があり、
関心があったが、よくわかっていませんでしたが、
今回、院内銀山関係のお墓のシリーズを案内していて、再度院内銀山史を読み返していたら
何と、その中にこのお墓のなぞを解く記述がのっていました。
そのため、この記述をご案内いたします。


小野地区にあったキリスト教墓  菅原 直助の墓

 院内銀山墓碑考の中に書かれていた小野地区の墓地には、以前から十字の字が彫られたお墓があるのは分ってはいたが、何故ここにあるのか知りませんでした。ところが今回、和田雙穂(そうすい)の事を調べていたら、
院内銀山にキリスト教を伝道した人の中に菅原直助の名前があることが分りました。
  院内銀山史 渡部和男著より
《キリスト教の復活》
明治新政府は、元年(1868)三月十三日の太政官布告(祭政一致、神祇官再興)をはじめとして、矢継ぎ早に布告・通達を発し、神社神道を国教とする方針を示した。そして、キリシタンに対しては、江戸幕府の政策を踏襲し、欧米各国の抗議にも拘わらず禁制の方針を変えなかった。
しかし、政府も欧米の強い抗議に抗しきれず、ついに明治6年二月キリシタン禁止高札を撤去した。院内銀山でもそれと同時にキリスト教が復活した。
布教はアメリカプロテスタントが主で、明治16年(1883)アメリカ・ディサイブルス派宣教師チャールズ・E・ガルストが来日、明治17年秋田に入り、明治20年一時帰米、翌年再び秋田を訪れた。秋田県での布教は大なるものがあり、秋田市高陽教会幼稚園は、ガルストの妻ローラの開設である。彼は明治22年ごろ院内銀山を訪れている。
ガルストによって布教の道が開かれた院内銀山に、明治22年には伝道所が開設され、明治27年の冬伝道師工藤与作が派遣された。
院内銀山で伝道を始めたのは菅原直助である。
「彼は牧師スミスの料理人によって導かれ、院内で働くようになってから伝道を始めた。会社当局はこれを止めようとしたが、彼は屈せず秋田から伝道者を呼んだ。信者達は、毎日正午坑内でランプの光の下で聖書を勉強し互いに励ましあった。」
工藤らの布教のお陰で院内銀山におけるキリスト教の普及は目覚ましいものがあった。
明治31年(1898)ガルストとスチーブンスの演説会には300名の聴衆が集まった。また、同年東京と秋田から来た布教師の演説会には聴衆1000名が集まり、同年の会員36人・日曜学校生徒29人、33年会員42人、教会・講義所3カ所、日曜学校生徒39人であった。これらの普及に少なからず貢献したのは、間違いなく菅原直助である。

菅原家
今回はこれで終了します。
ごきげんよう さようなら
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