湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2016-12-10

先回、小野地区の墓地にあった《親分墓》・・『友子墓』についてご案内いたしまた。
以前、院内銀山跡地の中にある 西三番共葬墓地の案内をしたときに、『友子墓』について
ご案内しましたが、その時『友子制度』を説明いたしました。

今回は、『友子』について、詳しく調べている 法政大学名誉教授、鉱山研究会 会長 村串仁三郎(平成24年6月当時)
の書かれた  院内銀山に伝統的な鉱夫同職組合・友子の資料を求めて(会誌 院内銀山 第37号より)に
友子のことが詳しく書かれているので、何回かに分けてご案内いたします。
まずは、『友子』とは、どんな組織だったのかを、ご案内いたします。


  院内銀山に伝統的な鉱夫同職組合・友子の資料を求めて

《友子とは何か》

そもそも友子と言うのは何であろうか。昔、鉱山のあった地域の人達は、友子とは「親分子分といった関係で集まる鉱夫の共済組合みたいなもので、江戸時代から合ったらしい。」といった程度の知識を持っていたようである。
 しかしこれは間違った理解である。友子は、鉱夫の共済組合ではなかった。実は、鉱山で働く人たちも、あるいは、友子のメンバーだった人さえ、友子に付いて正しい認識が欠けていたのである。友子というのは、なかなかミステリアスなものである。
 私の長い間の友子研究の結果によれば、友子とは、簡単に言ってしまえば、「江戸時代に形成され、ギルド的な性格を持ったおもに熟練採鉱夫の同職組合であり、明治維新後にも消滅することなく、明治期を通じて鉱山の近代化の過程でいっそう発達し、明治末期ころまで存続し、その後、昭和期に入ってから衰退しはじめ、昭和10年代後半に制度的に消滅し、戦後はごく一部が形骸化して残存した、鉱夫の同職組合であった。」(拙著『日本の鉱夫―友子制度の歴史』、1998年、世界書院、P12)
 共済組合というのは、少しずつ皆でお金を出し合って、困った人が出ると供出した資金で助け合う制度のことである。こうした制度は、世界のどこの国でも古くからあったし、日本でも江戸時代から頼母子講(たのもしこう)といった形で存在した。
 江戸時代の職人組合や友子も、そうした共済的な活動を行ってきたし、労働組合も、組合活動の一つとしてこれまで共済活動をおこなってきた。しかし、人は、労働組合を共済組合とは呼ばない。鉱夫の同職組合である友子は、社会保障制度がなかった時代には、共済活動を積極的に行って、お互いに助け合ってきた。

 このように江戸時代の後半から、明治・大正・昭和の初めころまで続いていた息の長い同職組合であったと言われている。

これから、西三番共葬墓地にある 《友子墓》を紹介します。

秋田熊谷政吉1
秋田 熊谷政吉之碑
と彫られていて、秋田は 秋田出生となり、秋田で友子関係になった。
秋田熊谷政吉3
この写真は向かって左側に彫られているのは
依母弟 秋田 村山 熊?
子分  秋田 冨塚 ?
二人が立てた墓
秋田熊谷政吉4
写真が暗くてよく見えませんが、
右面には、明治43年9月?日
          行年 51歳
このように彫られていました。





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