湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2016-12-29

今回も先回に引き続き、『友子』についての資料のご案内をいたします。

今回は、明治時代になってからの友子資料について、ご案内いたします。
ただし、院内銀山においては、資料がなくて、墓石から≪友子≫関係からわかるようになった。
ミラーマンも院内銀山跡の西三番共葬墓地だけでなく、そこから離れた墓地からも幾つかの
≪友子墓≫を確認している。
ここからも、院内銀山においては≪友子≫制度が整備され、大いに普及したことが分かると思います。

ここで、今回も『院内銀山に伝統的な鉱夫同職組合・友子の資料を求めて』から
ご案内いたします。
 さきに引用したように吉城氏の調査によれば、明治10年建立の「羽後 富田幾蔵(40歳)の」墓は、「子分 秋田 畠山大助」によって建立されたものである。また同年に建立の「秋田 坂井金八(45歳)」の墓は、「南部 工藤幸助、同 金道吉四郎」らにより建立されたものであった。
 ここではまだ明確に、親分の墓を子分が建立したと明記されていないが、明治中期から末期、あるいは大正期の墓は、そうした関係を明記している。(前掲『日本の伝統的労使関係』、114頁)
 たとえば、ここで私がかつて院内銀山を訪れ友子の墓を調査していた際に撮影した「明治24年建立の友子の墓の写真を掲載しておきたい。秋田石太郎の墓は、母サツと一緒という珍しいものであるが、「子分秋田出生 弟吉」「同 米吉」「建立」と刻んでいる。
(この墓は、共葬墓地に入って、すぐ左手の少し山になっていく場所にあり、目立ちます)

a href="http://blog-imgs-98.fc2.com/y/u/z/yuzawageopark/201612281611363d6.jpg" t秋田石太郎2
墓の正面には、このように秋田石太郎
                母 サツ  之墓

秋田石太郎1
左面には明治24年4月26日
        子分 秋田出生 
             弟吉
            同 出生
             末吉
             建立    

秋田石太郎4
右面には 明治22年12月4月12日
                 行年?
       同 27年 5月8日建之?

 また院内銀山史跡顕彰会編『院内銀山』(1980年、68頁)には、「日清戦争に銀山より出生した平野繁松以下11名が何れも友子制度によってその留守家族が、全山の人達によって救済されたと伝えられ」ていると指摘している。これは、友子が、出征兵士の留守家族をみんなで助けたという共済活動を指摘したものである。
(その日清戦争出亡くなった伊藤長助の墓がやはり代表的な友子墓である)
友子 歩兵墓1
墓の正面には
 陸軍歩兵
 俗名 釋忠順堅正居士
 一等卒
戦死者1
右面には
実子 伊藤長次良
明治廿八年一月廿七日 黒溝台之大激戦
戦死 伊藤長助 
      行年 丗四歳
<a href="https://blog-imgs-98-origin.fc2.com/y/u/z/yuzawageopark/20161228172429a37.jpg" target="_blank">友子 歩兵墓2
 左面には
子分    能登出生 佐藤定治郎
依母舎弟 越後出生 土田慶藤
同     秋田出生 髙木倉蔵
(この墓の建立者は、他の友子墓とくらべ、珍しいことに、能登出生・越後出生・秋田出生とばらばらである)

このほかにも、友子の墓はたくさんあるが、
今回はこの辺で終了します。
次回も友子関連のご案内をいたします。
ごきげんよう、さようなら。
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