湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2017-01-08

 先回明治時代の院内銀山における友子制度の続編ということで、
友子の紹介文をご案内いたしましたが、
今回は、院内銀山で実際起きた労働改善運動が友子制度を活用したものであったことを
ご案内いたします。

  明治期の院内銀山の友子と言えば、明治期に鉱夫の労働組合運動を行った永岡鶴蔵を思い起こす。
 永岡鶴蔵については、本誌35号で渡部和男氏が「永岡鶴蔵―坑夫の権利擁護のための闘争―」(1977年、お茶の水書房)を利用して、院内銀山で明治26年2月に待遇改善の争議を組織して成功をおさめ、さらに明治26年5月に秋田県議会の決めた鉱夫税に反対する運動をおこない12月に廃止されたことを論じておられる。
鶴蔵は、明治24年に友子の浪人制度を利用して院内銀山に移ってきたが、すぐに友子の事務所である「交際所」に行って、院内銀山の友子組織に加わったはずである。
 鶴蔵は、荒川鉱山でキリスト教に出会い社会的に目覚め、「予は凡て秩序的に合法的に一般の坑夫を進歩せしめ而して坑夫社会を改善せんとするには差当最も必要なる鉱業法を研究するの会を起し数十名の坑夫が一室に会した」。
 こうして鶴蔵は、自覚的な友子の仲間を研究会に組織して、彼らを中心に友子制度の中で、「十三カ条」の「嘆願書」を作成して、経営者に提出し、「三日間の同盟罷工」を行い「七分まで要求を入れ」させた。(前掲『近代民衆の記録』2鉱夫、239頁)
 当時の新聞は、この争議が事実であったことを次の様に証明している。
「院内銀山に従事する坑夫600余名は役員中二三の輩が其待遇の残酷なるのみならず、二三カ月前より賃金に迄減額を加えたるを怒り一同申合せて業務を中止し、十三カ条の嘆願書を差出し」云々。(前掲『日本の伝統的労使関係』、358頁)
 私は、明治後期に社会的に自覚した友子鉱夫が、各地の鉱山で、ある時は友子組織として、ある場合はあえて友子組織とは別個の争議団として、待遇改善のために争議を起した多くの事例を明らかにした。(詳しくは前掲『日本の伝統的労使関係』、第八章「明治後期における友子の労働組合化」を参照。)
 例えば明治24年の『日本鉱業会誌』で黒森鉱山の経営者は、友子が争議をおこなっていると非難している。
「彼レ坑夫ハ・・・一個ノ式法ヲ踏ミシモノ即チ所謂某先輩ノ推挙ニ依リ得タルノ地位ハ親分アリ兄弟分アリ(仲間ノ義務トハ親分子分ニ随従スルハ勿論自然同盟罷工徒党ノ中ニアリテ節ヲ屈スルノ輩アレバ各鉱山ニアル同族ニ通謀シ
背反ノ者ヲ目シテ狸ト称ヘ以テ再ビ同族ニ入レザラシム)」。(前掲『日本の伝統的労使関係』、357頁)
 私は、こうした友子の争議活動、友子を基礎とした争議行為を、友子の労働組合化の現象と呼んだ。
 明治26年2月におきた院内銀山坑夫の待遇改善のための争議も友子の有力なメンバーだった鶴蔵が友子仲間と語り合って起した争議だったのである。
 さらには鶴蔵は、明治26年5月になって、4月から施行される鉱夫税を徴収すると決めた秋田県議会に対し、まず院内銀山で反対運動を起し、さらに秋田県下の「坑夫の親分によって協議会」を開き、「全会一致で反対運動を為すことを決議し」、鉱夫に呼び掛けて全県的な運動をおこなった。
 鶴蔵は、「県下の各鉱山を遊説し、8月頃までに各鉱山の代表者を糾合して『秋田県鉱夫同盟』を組織し」、反対運動を全県的におこない、ついに12月19日に鉱夫税を撤廃させたと述べている。(詳しくは中冨兵衛『永岡鶴蔵伝』は、48-53頁を参照)
 この場合も、鉱夫税反対運動は、秋田の鉱山に存在していた友子組織を基盤におこなわれたのである。もし友子制度を利用しなかったとすれば、鉱夫税反対の急速にして全県的な運動など組織できるはずがなかったのである。ちなみに、友子には、鉱山内の活動を山中交際といい、各鉱山の友子間の交流活動を、箱元交際と呼んでいたのである。
 院内銀山の争議や鉱夫税反対運動は、院内銀山と秋田県下の鉱山に、しっかりとした友子組織が存在し、相互に緊密に連携を以て存在していたということを示しているのである。
 その後、鶴蔵は、明治30年には北海道夕張炭鉱に渡り、そこでも友子を利用して労働組合を組織し、労働組合運動をおこない、明治36年には足尾銅山に移って労働組合運動を行った。(この点について詳しくは、拙著『大正昭和期の鉱夫同盟組合「友子」制度』の「第一章 大正昭和期における足尾銅山の友子制度」を参照していただきたい。)

 院内銀山に伝統的な鉱夫同職組合・友子の資料を求めて
         法政大学名誉教授 鉱山研究会会長  村串仁三郎(会誌発行当時)
                        会誌「院内銀山」第37号より

院内銀山 西三番共葬墓地の《友子墓》の紹介
工藤倉蔵1
この写真は、秋田 工藤倉蔵之墓
工藤倉蔵2
右面は
子分 秋田 加藤 金次
大正 五年三月二十一日
   行年 四十四歳
工藤倉蔵3
左面は
依母舎弟 秋田出生 髙木倉之助
子分    同     高橋?
同     山形出生 山川?
同     ? 出生 佐々木?
同     越後出生 大田?
同     山形出生 佐藤?
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