湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 院内銀山墓碑地図 その他の墓地 小野地区の墓地

2017-01-13

友子関係のご案内が永くなりましたが、今回で一応の区切りと致します。
今回は、西三番共葬墓地の《墓碑銘》調査をされた吉城文雄先生の資料の一部をご案内いたします。

友子関係の墓碑銘を調査するに当って、先生はまず一番に院内銀山の西三番共葬墓地を調査されたそうです。
その後から全国各地の鉱山墓地を調査されたそうです。
阿仁・大葛小坂、尾去沢、山形の幸生、福島の半田、軽井沢、宮城の細倉、熊沢、更に佐渡、足尾、神岡、生野、石見、別子と数千基に及ぶ墓石、墓碑銘だったそうです。
すごいですね。やはり研究するということは、このように全国各地に実際に行って調べないといけませんね。
その中で、院内銀山の西三番共葬墓地で調べた内容を具体的にご案内いたします。
江戸時代の最初の頃は、全国各地から院内銀山に多くの鉱夫がやってきていたのが、江戸中期から幕末にかけては次第に鉱山周辺の地域に限定されていったそうです。
これはまさに、江戸時代初期は、労働力を全国各地から集める必要があったが、(技術のある人たち)中期以降は単なる労働力の確保に変わってきたことと、飢饉・凶作と農村へ貨幣経済が浸透したことで、農民が土地から切り離されていったという、現象があらわれたことで単なる労働力が集まりやすくなった。ということだそうです。
西三番共葬墓地の墓碑銘を詳しく見ると、次のような結果になったそうです。
 ” 調査対象墓石三百十三基のうち被建立者について出身国の明確なものは、南部五、秋田三十一、最上四、仙台五、会津一、越後二、伊勢六、備前一の五十八例であった。そして地元秋田を中心に、東北地方出身者が全体の79%を占め、建立者についても石狩、津軽各一、南部二、秋田九十、最上六、仙台一、越後二、越中三、加賀、出雲各一の百八例中、地元秋田を中心に東北地方が全体の94%を占めている。 ”
 また、先生の調査結果ら面白いことが分かったそうです。
それは友子の墓石建立が東日本中心におこなわれていて、西日本ではほとんどなかったそうです。
なぜそうなったのか、先生はこのように結論づけています。
” 17世紀後半の寛文・元禄期を境に、これまでの坑道採掘技術に基づく鉱山の発展・開発のブームが終わり、中・小鉱山が次第に淘汰され、尾太(おっぷ)・白根・尾去沢・阿仁・大葛・八森・院内・佐渡・足尾・日立・生野・石見・別子・明延・山ヵ野串木野など、後世の大規模鉱山に収斂した。
 この結果、西日本の諸鉱山は、生きた技術であり、労働力でもある鉱夫を、遍歴する人たちに依存しては存立を危くするものとして、鉱夫の定住政策をとり、親から子、子から孫へと代々、その鉱山の技術と労働の担い手となる人たちを再生産する事に切り替えた。西日本の主要鉱山の史料によると、右の政策故に他鉱山から遍歴して登山してくる鉱夫に対して彼らは、溢れ者=阿不連者なので交際しないように、また一宿一飯を交際しても、長逗留をさせないように、直接間接に経営の側が指導している。
 また、建立された墓石についても、親の死に対して子が墓石を建立するというともこの規律が通用するところと、いなとの二つの地域差から、友子規律が、どの程度貫かれていたか、また、特に20世紀(昭和年代)に入って、自然石や製錬過程で排出されるカラミを長方立体風に固めた(これは鉱山住宅の石垣に利用されたもの)ものなどに自らが鑚(たがね)をもって、親・子・兄・弟の関係=戒名、出生国、享年、それに建立者名などを彫刻した墓石がある(小坂・荒川銅鉱山)とすれば、友子の締約が次第に稀薄となり、形式に堕(だ)しつつあることがわかるだけに、院内銀山の墓石の形状・質量ともに一定した変わらない状況は、友子の精神が正しく受け継がれているだけでなく、友子の発祥の地は、この院内銀山なのではないのかと思考するものである。”
  院内銀山の山中友子     
  日本鉱山業史研究所  主任研究員    吉城文雄
  会誌 院内銀山 第19号 旧院内銀山跡環境整備事業記念特集号より
 
このように『友子』関係の発祥は院内銀山ではないかと結論づけています。ミラーマンに取ってはとてもうれしいことです。
最後に先生が調査した全国の“鉱山友子墓石建立年代順整理表をご案内いたします。

秋田 院内 1787(天明7年) 宮城 細倉 1893(明治26年)
山形 幸生 1830(天保元年) 栃木 足尾 1899(明治32年)
福島 半田 1833(天保4年) 福島 加納 1910(明治43年)
秋田 小坂 1871(明治4年) 秋田 阿仁 1912(明治45年)
茨城 日立 1874(明治7年) 秋田 鴇 1912(明治45年)
秋田 大葛 1880(明治13年)
秋田 尾去沢 1887(明治20年)

それでは、『友子』関連記事については、今回で終了いたします。
次回は、また元に戻って、《小野地区にある墓地の中で、一部特殊なお墓があったのでついでと言っては何ですが、
ご案内いたします。
ごきげんよう、さようなら。


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