湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-03-09

先回に引き続き、今回も古河時代の十分一の様子を見ていきたいと思います。
永田さんの書いた文章の中に、堀松家の炭の仲買い商をしていたことが書かれていたので、
今回は、堀松武一さんが書かれた文章を紹介します。

≪西三番六十番地から十分一へ引っ越し―炭の仲買商≫
                          会誌院内銀山 第28号より
 昭和4年から2年間十分一に住む
小学校も五年生となった頃、我が家は共葬墓地真前の生家から十分一に引越した。ここでは昭和6年1月、東京に出るまでの二年間を過ごしたことになる。なぜここに引っ越したのか、その理由をたずねた記憶はないが、多分父が笹子から木炭を背負って売りにくる人からそれを買い、東京の問屋に売る仲買商売を始めたからであろうとおもわれる。院内銀山はとうに廃鉱になっていたら、仕事を求めての引越しだったのかも知れない。笹子からかますに60㎏もの木炭を詰めて背負い、由利郡から急峻な松の木峠を登りそして雄勝郡へと下り、十分一で仲買人にそれを売るという大変な重労働だったのである。昭和4年から6年頃の十分一での仲買人は堀松の他にもう二軒あり、写真に見るような粗末な小屋で、背負ってきた木炭を買付けるのである。その小屋には大きな天秤があり、そこで木炭の重さを貫匁ではかり、父はそろばんをパチパチとおき、すごい早さで計算し、運び人に現金を手渡すのである。父はこうして買付けた木炭を院内駅から貨車にのせて東京の問屋に売りだしたのである。院内銀山廃山後、多くの人達が県外に移住したのに対し、堀松家が最後まで院内に残ったのは、このような商売があったからであろう。しかし、この仲買商は長つづきしなかったらしく、父は廃業後、古河林業部に勤めることになったのである。

堀松家が引っ越した家が写真に移っているので、ご案内いたします。
笹子からの木炭運び
この写真は昭和10年前後に写されたもので、堀松家が炭の仲買商をしていたちうじのものです。
大きな家であることが分かります。
右側の道は、院内から松の木峠を越えて鳥海地区に抜ける旧道(現在の108号線)、笹子(じねご)の方から炭を運んできている人が多くいます。IMG_1753.jpg
この写真は大正末期の十分一を写した写真です。写真の右奥に赤丸が付いていますが(あとから付けたしるし)そのあたりに堀松家があったと思われる。
以前の十分一のことを知る数少ない人(現80歳以上)から聞いた話では、堀松家のあった場所は十分一の入り口からしばらく行ったところと聞いています。上の写真の道路の感じや杉林の形などから、下の写真を比較して検討を付けました。
この時には、異人館は無くなっています。
IMG_1754.jpg
この図は昭和10年ころを描いた図ですが、大体赤丸のあたりと思われます。
堀松家辺り
現在は、杉林に変わってしまい、全くわかりませんが、おおよその見当を付けるとこんな感じの場所と思われます。
現在の108号線を十分一への入り口から暫く行った場所です。道の左側になります。右側は崖が続きます。

それでは今回は、この辺で終了します。
ごきげんよう、さようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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