湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-03-29

先回に引き続き、寄り道編パート2です。
誰もいなくなった院内銀山で、一年のうちの半年間ですが、何年間も文明社会から隔絶した生活をされて
荒れ放題だった院内銀山跡地を少しでも良くしようと孤軍奮闘した『永島房雄師』について、もう少しその人柄や
行ったことなどをご案内したいと思います。
先回も言いましたが、永島さんがいたから、《院内銀山史跡保存顕彰会》が誕生したと言っても過言ではありません

今回は、会誌 院内銀山 第22号の中に記述されている『老師 永島房雄様を偲ぶ』 (金沢實枝 記)をご案内いたします。

 老師 永島房雄様を偲ぶ  金沢 實枝    
                                    会誌 院内銀山 第22号 発行平成9年

 平成8年10月10日付の秋田魁新報に「寺を建て独居供養の日々」との見出しの記事を見つけました。好い笑顔もうれしく思い、これで永島さんの今日までの御苦労が皆さんに分って貰えることと喜びました。
 それから1週間目の10月17日午前2時、永島さんは永眠されました。
 大正5年に銀山に生まれた永島さんが、この銀山跡に昭和58年6月に建立されたお寺、無宗山報恩寺で亡くなられたのです。
 ただただ御冥福をお祈りするばかりです。
 私共が永島さんと始めてお会いしたのは、昭和49年に夫の金沢比助が当時雄勝町長をしておりましたので、「生まれ故郷の祖母の眠る銀山のために役立てて欲しい」と町にお金の寄付を頂いた事が始めでした。主人はいろいろと考えたと思いますが、銀山閉山後の荒れた墓地を供養するために、観音様をおまつりこと、そうすれば荒れた墓地も少しずつ綺麗に出来るかと思い、西三番の共葬墓地に聖観音を建立し、昭和50年9月20日に開眼供養祭がとりおこなわれました。
 毎年春に来られると私の家にときたまお話にお出になり、秋には車で愛知県小牧市まで帰られての年々でした。
 昭和58年には無宗山報恩寺を建立され、周辺の倒れて草木に埋もれた墓石を片づけて供養して過ごされましたが、その間、院内の永島さんを信奉される方達がよく手伝っておられた様です。
 春とお盆とお彼岸には、私共も毎年お参りしましたが、当時お寺に渡る川には丸太を二本並べた丸木橋で、老人の方々には不自由でしたので、少しは役に立つようにと銀山橋を作ることにも協力させていただきました。
 お寺にも立派な鎌倉時代の作ちう大日如来様がまつられ、その外にも竜神様・水子供養の観音様、無縁供養塔、その他戦死者の慰霊塔、キリスト殉教者の塔、六地蔵尊、梵鐘等々、十数年間で良くもこれ程整えられたものと思います。それにつけても小牧市の交際されておられた方々のお手伝いも大したものと思いました。無縁供養塔の建立の際に、私は幼い頃からの友達と一緒に詣りしましたところ、塔の前に花立が必要とのお話しを聞き、友達の教え子に三関に渡辺由郎さんが居られることを知り、早速永島さんと三人で渡辺さんを訪れてお願いし花立てを作ってもらいました。永島さんにはこんなに近くに石屋さんのあることを始めて知ったと喜んでもらいました。
 その時一緒に行った友達(柴田和子)の祖父が明治22年5月まで異人館近くに住んでおりましたが、その祖父のお墓を探すことも目的に訪れたのであり、お墓は三番共葬墓地のシダレ桜の木の付近と聞いており永島さんが懸命に探して下さいましたがその桜の木と共に崩れおちたのか見つかりませんでした。友達は百ヶ年の供養をして頂き喜んで帰りました。
 一昨年の平成7年には、春になり永島さんが例年のとおり銀山に来られるのを心待ちにしておりましたが、夏になっても音無しで心配しておりましたところ、小牧市のご自宅の新築とかでお出にならなかったようで、ご本人も躰の調子も悪くされたとの事でした。
 昨年は6月頃銀山に来られましたが、気の故か少し口が重いような感じで、私の家に来られてのお話では「死ぬのは一寸もこわくない。銀山で死にたい。そしてまた生まれ代わる」と言っておられることが印象に残っております。
 18日(平成8年10月)の増田祭場での荼毘の際には沢山の方々のご会葬で、ご尽力された故人を偲び、改めて思いを深くいたしました。
 この6月には皆様がお集まりになり、なつかしい銀山のお寺の近くに
  大心房雄首座 永島房雄老師 顕彰碑
 建立されるそうです。心待ちにしております。
 御冥福を祈り筆をおきます。
  平成9年2月


2015_11150045.jpg
この写真は永島さんが住んでいた無宗山報恩寺やその周りの建物です。すべて自分でお造りになりました。
新しくした橋
これは現在の様子。平成8年に無くなっていますので、それから21年間が経っていますが、今は見る影もありません。
建物残骸
現在の様子。夏はこのように草に埋もれてしまってます。
無残な建物
春先の雪解けの頃の様子。
この写真の様子は、一番上の写真の中の、右側の部分になります。一本杉の木が立っているあたりです。

今回はこれで終了いたします。
ごきげんよう、さようなら。
プロフィール

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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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