湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-04-08

今まで、明治期の十分一についてご案内してきましたが、今回で終了いたします。
そのため、今回は十分一の様子を再度江戸時代の絵図から明治期・大正期・昭和・現在の写真までを紹介します。

まずは江戸期の絵図をご紹介します。
1十分一絵図1
この絵図は、羽州雄勝郡院内銀山惣絵図です。(この写真は十分一の所を拡大しています)
この絵図は院内銀山を描いたものとしてはもっとも古いものです。現在も遺構が残る【大切坑】の完成を記念して描かれたものです。
年代は宝永4年(1707年)のものです。
この時の十分一番所の位置を見て、ミラーマンは驚いてしまいました。
良く見ると川の右側に描かれています。これは今ある十分一番所跡地と違っています。(現在は川を渡ったところにあります)
1十分一附近絵図2
この絵図は、院内銀山砒通附近絵図面とあり、(これも十分一の所を拡大して写しています)
この絵図は年代不詳ですが、江戸中期以降のものと思われます。
十分一番所が、現在の十分一番所跡と同じ場所に描かれています。
1十分一附近絵図
この絵図を見ると、十分一番所の外に多くの建物が描かれています。
まさに番所ですと言う絵になっています。

これ以降は、明治期の写真を掲載します。
異人館
十分一橋正面jpg
明治期の十分一
この次は大正時代になります。
大正時代
すぐ上の写真と比べると、異人館が無くなっているのと
家の数が少なくなっているのが分かります。

これからは、昭和になってからの写真を掲載します。
昭和初期十分一橋
写真が横になってしまって、見ずらいですが、昭和初期のものと思われます?
奥に見える壊れかけているような橋が、十分一橋です。
この写真は十分一橋を長倉方面から鳥海町方面に向かって写したものです。川の右側に写っている家々は、現在の108号線寄りの平場(現在は杉林になっている、一部畑あり)になっている場所に建っていました。
下流から橋を見る
この写真は、現在の様子ですが、大体このような角度からもう少し広く写したものと思われます。川の右側に家が並んでいました。

昭和の十分一地区
この写真は、昭和30年から40年ころのものと思われます。?おそらく大切坑の裏山から写したと思われます。
現在の十分一
これも横になってしまい見ずらいですが、昭和の終わりころと思われます。全く家は在りません。
十分一橋
これが現在の十分一橋から院内銀山方面を写したものです。

これで十分一についての紹介を終了します。
次回は明治期の十分一橋の隣にあった橋や古河鉱業の鉱業部事務所や林業部事務所のことについてご案内いたします。

それでは、ごきげんようさようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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