湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-05-02

今回からは、院内銀山跡でも名所のひとつである【大切坑跡】についてご案内いたします。
大切坑 (別名:大切水貫坑)は院内銀山にある遺構の中で、最も素晴らしい遺構の一つです。(ミラーマン感想)

それでは、その大切坑について述べる前に、
『院内銀山は水貫開発の歴史』 (梅津政景が興した秋田の鉱山と町・・平成28年阿仁伝承館・秋田大学連携展より)
この中に書かれているものを、ご案内いたします。

【院内銀山の水貫開発】
 政景と院内銀山の最新技術
 政景の院内銀山奉行としての任期は、延べ4年程度ですが、惣山奉行として生涯、院内銀山の開発に関わり、大規模な工事を行って、国内有数の銀山に育て上げました。
 従来の鉱脈を追って坑道を掘る方法に替り、当時、最新の鉱山技術は、鉱脈の方向を推定し、鉱脈に垂直に水平(少し上向き)な坑道(横相)を掘削する事でした。この坑道は、主に運搬と坑内湧水の排水に利用され、鉱山の効率化と量産化に有効でした。しかし、地下での高度な測量技術と、多額の先行投資が必要な、大規模で困難な工事でした。
 【大切水貫坑の完成】
 政景の没後74年後(1707年)に、院内銀山の大切水貫坑が完成し、水貫坑道の全長が約4kmになりました。大切水貫坑の坑口は、銀山川が、十分一沢川に合流する少し下流の川岸にあります。ここから銀山町までは約1.5kmもあり、大変な工事でした。この様な大工事を≪大切≫といいます。佐渡金山の南沢疎水道は1696年に約900mの水貫坑道として完成しましたが、院内銀山の大切水貫坑は、これに匹敵するものでした。
 この大切水貫坑の工事には、工事の中心となる銀掘師の「間兵衛」が阿仁から派遣されており、すでに阿仁の鉱山技術が高くなっていた事が伺えます。
 この大切水貫坑は、昭和29年(1954年)の閉山まで主要な運搬坑道として使われており、当時に開発した水貫坑道は、院内銀山250年の骨格をなすものでした。(**院内銀山自体は350年の歴史あり)
IMG_1865.jpg
この絵図は院内銀山を描いた最も古いものです。(現在見つかっている絵図面では)現在も遺構が残る【大切坑】の完成を記念して描かれたものです。院内銀山の主要坑道の構造が記された、極めて近代的な坑道図となっています。
『羽州雄勝郡院内銀山惣絵図』
寸法:原図 230×115(複製は116×82)
年代:宝永7年(1707年)
所蔵:国文学研究資料館
IMG_1866.jpg
大切坑の所を拡大したものです。
大切坑出口の脇に大切山小屋が書かれています。

【政景が残した3つの水貫坑】
政景は、院内銀山に3つの大鉱脈を発見させ、それぞれに水貫坑道を開発しました。院内銀山は塩屋平近くの引割山(山頂に割れ)から開発が進み、この鉱脈を千枚鋪(本鋪)といいます。次に都平に四百枚鋪、さらに南沢に南沢鋪が発見・開発されていきます。政景は、これらに対応した水貫坑(横相)を開発させ、将来、大切水貫坑の開発へと繋げる、院内銀山の基礎骨格を造り上げました。

この3つの水貫坑が上の絵図に書かれていますが、それをもっとわかりやすく書いた図がありますので、それをご案内いたします。
IMG_1857.jpg
この図は『羽州雄勝郡院内銀山惣絵図の翻刻図(山口啓二『近世初期秋田藩における鉱山町』より)
IMG_1861.jpg
赤で示されたものが3つの水貫坑の絵図です。
上から「千枚鋪の水貫坑」 次が「四百枚鋪の水貫坑」 一番下が南沢の「南沢鋪の水貫坑」
これが大切坑が出来たことで、繋がっていき水貫坑道が約4kmにも及ぶものになりました。

今回は、ここまでにいたします。
ごきげんよう、さようなら。
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Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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