湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-05-08

先回から、院内銀山の中の遺構としては簡単に見る事の出来ない遺構ですが
ミラーマンにとっては長年真近で見たいもので下だ、去年の10月にやっとのことで真近に見る事が出来ました。
そのことについては後日詳しくご案内することとして、
今回も先回同様大切坑について、書かれた記述を紹介します。

大切坑完成 宝永4年(1707年)

 院内銀山は、発見当初は銀の産出量も多くありましたが、次第に産銀量が低下していきました。しかも、院内銀山の最大の悩みは水抜きの戦いでした。
 最初の頃は、坑内保全や無理な採掘による水抜きの不完全等もあったので、藩においても、坑内整備に重点を置くことになり、延宝8年(1680年)山奉行石井重右エ門を新任し、莫大な普請貸付米を普請方京野作之外二名に貸し付けて、大南沢の水抜き工事を行わせ、元禄10年(1697年)には五郎四郎山にも水抜きを作り、着々と整備に取りかかったが、更に抜本的に銀山川と大沢川との合流点まで一大排水坑を作る計画を立て、宝永4年(1707年)普請方赤石助左ェ門に命じて、新大切(現在の大切坑)の水抜きに着手し、四か年の歳月を要してこの工事を完成しました。これは画期的なもので、全長1644m(大切口より五番坑まで)に及ぶものであり、これによって従来困難を極めた五番坑より上部の湧水は完全に水抜きが出来た。


先回ご案内した絵地図を再度使わしてもらいます。
IMG_1857.jpg
これが水貫坑の全体像です。赤い部分は院内銀山開発当初に造られた3つの水貫坑道です。そこから右側に永く示された線が大切坑です。(途中から右に曲がっているものです)
IMG_1858.jpg
宝永四年亥四月拾三日より拾八日まで
     黒子与兵衛
在番  赤石助右ヱ門  
惣御山手代
     安藤幸左ヱ門
阿仁より被遣候銀堀
     間兵衛
御山師備前孫右ヱ門
同   村田吉左ヱ門
大切坑の完成に携わった主要な人物が書かれています。
IMG_1860.jpg
大切坑が五番坑まで伸びて、それ以前にあった水貫坑と一緒になりました。
大切坑の側に大切山小屋が書かれています。
 
次回は、明治になってからの大切坑の様子をご案内いたします。
それでは、ごきげんようさようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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