湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-10-04

古河鉱業時代の精錬所について、ご案内いたします。
先回は、その前段として精錬所について一般的な説明をご案内いたしました。

今回は、院内銀山で行われた精錬について
『院内銀山史(渡部和男著)』や『会誌 院内銀山 9号 能登 文敏著』に書かれている物をご案内いたします。

まずは、明治期の精錬所関連施設があった絵図を添付します。

長倉2

長倉1
二つに描かれたのが、精錬所の全景です。
この絵図の下の緑の四角が変電所です。両方に描かれているのでダブりを考えてください。
かなり広い面積をしていました。

落合より精練所を望む
あまり良い写真ではありませんが、落合地区に出来た精錬所の全景が写っています。

まずは、『院内銀山史(渡部和男著)』に書かれているものをまずご案内いたします。

明治期の新しい採鉱技術 (院内銀山史より  渡部和男著)
《明治期の精錬法》
 精錬は明治15年6月に旧精錬法の灰吹法を廃したが、代わって施行された「電気沈殿法」は好結果を得なかったため、同年末に再び旧精錬法を再興することになり、また、「用銅和塩沈殿法」が施行された。しかし、これも芳しい結果は得られなかったため、明治18年古河鉱業経営と共に場所を移動して建設されたのはアマルガム(水銀昆汞法(こんこうほう))精練所である。この方法は、粉砕された鉱石を昆汞鍋に入れ、丹礬(たんはん)・食塩・水銀を加え攪拌し、金銀分を水銀中に抽収(ちゅうしゅう)させ、昆汞所から流出する鉱水から金銀と水銀を分離する。この採用によって、精銀百貫(375kg)の精錬経費を1円819銭減じ、銀が11匁(もんめ)86増加し、さらに純金100分の6・94の採取が出来たという。精銀は持ち運びやすくするため、直方体の“枕銀”にした。(一個約10^13kg、のちにさらに小型となった。)
 精錬鉱滓(こうし)(からみ)は樋で沈殿池に送られて「ドロコ」((泥鉱)の訛りか)と称され、数日に一回はドロコを沈殿池から上げ、それが積もって小高い丘となりニセアカシヤ(針エンジュ)が繁茂したが、現在は水田に化し、地元民はその場所を今もドロコと呼んでいる。ニセアカシヤは荒地にもよく育ち、大正期にドイツより苗木を輸入したというが、水にも強いので坑木用としても利用された。雄物川の沿岸には銀山から荒れた種子で育ったニセアカシヤの林が残っている。
 アマルガル精錬所はその後煙害事件を生じ、明治44年(1911年)には煙害の起きにくい青化精錬所が建設された。青化法は青化カリの希薄水溶液が金銀を溶かす性質に基づいた精錬法である。しかし、この方法も建設時期が銀山衰退期にあったっており、長くは続かなかった。
 精錬所はドイツ人技師来山時に、十分一から二キロ程下流の落合に建設されたが、場所が狭く川を渡らなければならなかったため、古河鉱業経営と同時に、そこよりやや上手の対岸山麓に移され、明治19年から稼働した。
 アマルガム製錬とは金鉱石から金を採取するには精錬が必要。アルマガム精錬は、砕いて粉末にした金鉱石に水銀を混ぜて マルガム(水銀と他の金属との合金)を生成させ、後に蒸留して水銀を取り除く方法。

このように書かれています。
今回は、ここまでにいたします。
ごきげんよう、さようなら。
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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