湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ジオサイト『院内』より ジオポイント:明治天皇行在所と御休み処

2018-03-22

1今回のジオサイト院内のご案内は、明治天皇が東北巡幸時に立ち寄られた院内町の中にある『行在所』と『御休み処(2か所)』
についいてご案内いたします。

まず明治天皇の御巡幸についてご案内いたします。
明治天皇 巡幸記録
巡幸とは、天皇が各地を見回って歩くこと
行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が外出することである。目的地が複数ある場合は特に巡幸(じゅんこう)と言う。
 ・・・三省堂 大辞林より

《明治天皇巡幸》
明治期(1868~1912)の明治天皇が行かれた地方巡幸は、全部で97回有りました。その内即日還幸は37回でした。
特に有名なのが六大巡幸と言われるものでした。
(1)明治5年(1872)5月23日~7月12日 近畿・中国・九州地方
(2)明治9年(1876)6月2日~7月21日 東北地方(函館を含む)
このときの東北巡幸は、埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を陸路でまわられたのち、7月16日青森から御召艦にて函館を経由して20日横浜に御帰着されました。
(3)明治11年(1878)8月30日~11月9日 北陸・東海地方
(4)明治13年(1880)6月16日~7月23日 中央道地方
(5)明治14年(1881)7月30日~10月11日 東北・北海道地方
二回目の東北巡幸は、岩手・青森・北海道・秋田・山形をまわられています。
(6)明治18年(1885)7月26日~8月12日 山陽道地方
この六大巡幸が明治の初めころから明治10年代に集中していて、しかも1カ月半から2カ月もの長期に渡って行われている事が重要です。これは、明治新政府にとって基礎を固めるために明治天皇の力が必要であったと思われます。
この巡幸を行うことで、明治国家支配のシンボルとしての天皇像を民衆に浸透させ、民衆の生き神信仰と天皇を結びつけて神格化を進めたと思います。
天皇を迎える地方官の権威を高めると同時に、天皇が休憩・宿泊で立ち寄る地方行政機関や地方の名家による地方支配の役割を果たしたと思われます。
この巡幸により、明治明治新政府が確立し、近代天皇制も確立したと思われます。
参照・日本大百科全書(ニッポニカ)解説より

この中の明治14年に行われた東北巡幸時に目的の院内銀山を目指した時に院内町でのお泊りやご休憩場所についてのご案内です。
まずは、院内地区の地図の中のどの辺にあるのかをご案内いたします。
IMG_2383.jpg
この地図の中の(4)・(5)・(6)が今回ご案内する場所に当たります。
まずは(5)の場所にあるのが、『行在所』です。これは明治天皇が明治14年9月21日にお泊りになったお宅です。
現在でもお宅は残っていますが、お泊りになった家(新しく天皇の為に作られた家)は火災で亡くなりました。
IMG_2379.jpg
正面の院内石で出来た塀に囲まれた家が『行在所』であったお宅です。
IMG_2381.jpg
お宅の庭には現在でも明治天皇がお泊りになったことを示す顕彰碑が立っています。
次に(4)の場所は、明治天皇が院内銀山に向かう途中お休みになった場所です。
ちなみにここまでは馬車で来られて、ここからは駕籠に載り院内銀山に向かいました。IMG_2376.jpg
IMG_2377.jpg
最後は院内の町中らだいぶ離れた場所になります。地図では(6)です。
国道13号線を山形方面に向かい、人家が途切れて雄勝トンネルの手前右側に小さな公園みたいになっている場所があります。
それが二つ目の御休み処です。
IMG_2384.jpg
この写真は以前写したもので、今日現在写真を撮りに行きましたが、雪に埋もれていて全く見えませんでした。とても雪深い所にあります。

それではこのブログの最後に、明治天皇が院内を訪問した時の様子を、エピソードをまじえながらご案内します。

(「会誌」十三号より)
明治天皇御臨幸
 明治十年ころから、明治天皇が、北海道・東北へ御巡幸遊ばれることとなり、通過される各所ではその準備で大わらわでした。
 院内村でも、宿泊をおおせつかった家では、新築に取りかかったり、旧道の館山下の道路を廃止して新たに小沢地区に新道を作ったり、常盤橋・愛宕橋の架橋工事や、雄勝峠の道路を御馬車の通りやすい道にするなど、当時としては、画期的な道路工事を行いました。
 明治天皇とその供奉の一行は、明治十四年(1881)九月二十日に湯沢に一泊され、翌二十一日に院内に御臨幸されました。
 この日小学校の子供達は、皆な日の丸の小旗をもって千福寺部落までお出迎えに行き、一般の人達と共に整列して、陛下のご一行を拝みました。
 陛下は御馬車に召され、前後は騎馬の者達で護衛されて、宮様はじめ政府高官たち美々しく後につづき総勢四二五名程のご一行でしたから物々しい行列だったと言うことです。
 新しく建築された下院内村の斎藤貞治氏宅の行在所でご昼食を召された後、改めてお馬車で院内銀山に向かわれました。その道筋には各部落の人達がむしろに座って、頭を低く垂れ行列を迎えました。二階から覗き見することなど禁じられていましたので、殆どの村人達は陛下の御顔を拝していなかったとのことです。
 この行幸の折り、随員の大隈参議は人力車で銀山へお供しました。当時は乗る人もこれを引く人も不馴れであったのでしょう、上院内の鈴木万五郎さん宅の前の坂道で、車から落ちて行列を乱すというハプニングがあったそうです。
 また、荒町から銀山まで陛下のお乗りになられた肩越(四人で担ぐお駕籠)を担いだ力自慢の源兵衛松という者、あまり恐れおおいので堅くなり、その上陛下が偉丈夫であらせられたので、とても重く感じて疲れてしまい、数日仕事を休んだという本人の話も伝わっています。

それではごきげんよう、さようなら。


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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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