大切坑

Categoryジオサイト 雄勝
こんにちは

そういえば先週の土曜日の夜、白鳥の鳴き声が聞こえました

最初は近所の犬かなと思ったのですが、
あれ、なんか違うな もしや白鳥 という感じでちょっと興奮してしまいました

夜に鳴くのはめずらしい気がするのですが、どうなんでしょう

それにしても、もう渡り鳥が飛来する季節なんですねぇ


さて、前回までは院内銀山のおおよその説明をしました

今回からは、院内銀山に関係するジオポイントをご紹介していきたいと思います

今日は大切坑(おおぎりこう)です

大切坑は、JR院内駅の西約3.5km、十分一沢川と銀山川合流地の国道108号の
向かい側にあります

宝永4年(1707)、水抜坑として普請奉行赤石助左衛門によって切り開かれ、
4年の歳月をかけて完成されました

当時としては一大事業であり、これによって地下の坑道の水抜きは格段の進展を遂げました

大切坑から5番坑(御幸坑)まで、全長1644mあります

院内銀山の操業は水との戦いであったとも言われ、
江戸時代の院内銀山絵図(秋田大学鉱業博物館所蔵)には
多くの水抜鉱夫が坑内で働いている姿が描かれています

江戸期院内銀山絵図

江戸後期の水抜坑は、延宝8年(1680)の大南沢坑、元禄10年(1697)の五郎四郎山坑、
大切坑など、総延長3806mに達しています

さらに宝永7年(1710)には新大切坑も完成しました

大切坑は、明治から昭和の閉山まで鉱石運搬道としても利用されました

明治天皇院内銀山御巡幸の際、御野立所としてここを御覧になり、
その時の記念碑が杉林の中に建っています

明治天皇院内銀山御巡幸記念碑
※杉林の向こうに明治天皇御巡幸の御野立所(石碑)があります

は昭和33年当時の大切坑です
昭和29年(1954)に銀山が閉山した後も、残鉱石を取り出すため稼働していました

大切坑(昭和33年)

今日は、湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

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